読書コーナー(令和2年度)

読書コーナー(令和2年度)

第7回 北海道における野鳥と花との出会い(後 編)

北海道花暦 北海道植物画協会 植物画による毎年カレンダー

 

はしがき

 北海道で見つけた二つのフォトカレンダーは、日替わりで様々な野鳥と植物が人々の心を癒してくれる。日本最北の地で、12月から1月は、野鳥も花も寒さに耐えながら春の訪れを待つ。前回12月の野鳥に続いて、今回は1月の花暦を述べる。

北海道1月の花と植物

1)新年縁起のよい花たち

マンリョウ:小さな常緑の木、冬になると赤い実が熟して美しい。1両は江戸時代の小判で、庶民が 一生見ない大金。万両はジャンボ宝くじのようなお正月の夢。

フクジュソウ:地面からつぼみがでて、黄色い花が咲き、繁茂する緑の葉に囲まれ、春の訪れを告げる。幸福と長寿を願う花は、毒があるので気をつけてね。

2)優雅なユリ科とラン科の花たち(北海道では鉢植え)

クンシラン:ユリ科、ランではないが、オレンジ色の花と太い葉がランに見える。

アマリリス:ユリ科、鉢植えの球根はこぶし大で、春には1カ月で咲く。

パフィオペディルアム:ラン科、太い根から葉が水平に広がり、長い茎が数本直立。茎の天辺に花が 一個咲く。東南アジア原産で、北海道では室内の優雅な花。

ジゴベタム・マッケイ:ラン科、長い葉と白い花が混ざり合う清楚な花。

3)珍しいコンプたち

オニコンブ:前あきブラウスの両側のフリルみたい。もっちりした食感は最高。

ネコアシコンブ:茎が猫の足の形で、2枚の葉が出る。厚岸・根室地方の特産品。

スジメ:凸凹模様の葉は5本の筋がある。きれい!でもおいしくない。

おわりに

 窓辺のテーブルでいただく朝のコーヒーで一日が始まる。右側に花カレンダー、左側は野鳥のカレンダー、どちらも一枚めくってレフレッシュ。今月はコロナの緊急事態宣言で外食を慎む。献立・ショッピング・料理で忙しい。「心の栄養食」研究の夢がふくらむ。  [KK.HISAMA,2021.1]

第6回 北海道における野鳥と花との出会い(前 編)

 

北海道の野鳥 大橋弘一撮影:野鳥フォトアート作品による毎年カレンダー

北海道花暦 北海道植物画協会:植物画による毎年カレンダー 

はしがき

 雪国で育った私にとって、冬は一面真っ白な雪だけの風景で、時々すずめを見る程度だった。今回のコロナ禍における北海道への旅では、読書コーナーで取り上げた「今昔物語」の他にも新しい発見があった。それは、北海道で12月になっても、様々な野鳥と野生の植物が人々の心を癒してくれることだ。二つのカレンダーに登場する、それぞれ365種の野鳥と植物のいくつかを述べて見よう。

北海道で12月に見る野鳥

 スズメはどこの住宅地でも見られる野鳥で、昔から俳句や物語の主人公だ。普通は茶色であるが、「すずめ」に分類される野鳥は、種類も多くカラフルなものまで様々だ。以下、すずめで、ツグミ科の3例を紹介する。ツグミ以外に、全身が赤いオオマシコがいる。

    冬の訪れを告げるツグミ:「ケケェ」という独特の鳴き声で冬を告げる

    白いツグミ:北海道では冬になると本来の茶色から白色に変化する!

    紅い首まわりツグミ:頭と体は黒とグレイの配色が美しい

空気が冷たく澄んだ冬の水鳥の多くは、「かもめ」か「かも」に分類される。北海道だけで見られる「きつつき」の種類ヤマゲラは、胸が白く背がオリーブ色、雄は額が赤い。他にも、全長38僂覇の冠羽が見事なヤマセミは、白と黒の鹿の子模様があざやかだ。

カレンダーの最後・最高の野鳥は「つる」の種類・タンチョウだ。一時は絶滅の危機にあったが、懸命の保護増殖活動で1000羽を超えると言う。釧路博物館の日当たりのよい一室で、感激のビデオが見られる。

おわりに

  野鳥はすぐに飛び去るのでじっくり観察できない。スマホがどんどん進化していくので、アプリで確認し、鳴き声も聞けるのではないか。今は昔ながらのカレンダーをめくって、新しい野鳥と出会いと朝のコーヒーを楽しんでいる。[KK.HISAMA,2020.12]

第5回 書籍のデジタル化が失うもの・今昔物語との出会い

     今昔物語・日本不思議物語集成二、現代新潮社、1973.11

はしがき

  大都市の中心街は別として、広大な大陸を車で移動するアメリカで本屋を見る機会は稀だ。そのため、日本と比較できないほど早くから、市民のための図書館が充実し、今は書籍のデジタル化が進んでいる。ところが日本でも、毎日通る駅や商店街の本屋がどんどん消えている。新コロナが、雑誌や書籍のデジタル化に拍車をかけているようだ。今回は、最近の経験から学んだデジタル時代の読書について述べる。

古書を発見した「さびしき町」

 今回はコロナ災禍のためアメリカから北海道に避暑地を変更した。この町は北海道東部にあり、三つの国立公園が近い。気温は真夏でも20度前半で、九州では想像できない程涼しい。観光客は若い世代を中心に親子連れが目立つ。

  「さいはての駅に下り立ち、雪あかり、さびしき町にあゆみ入りにき」

石川啄木が112年前の明治41年1月にこの町にやってきたときの和歌があった。今では多くの高層ビルが建ち並び当時の面影はない。しかしながら、中心街は古い空きビルが目立ち、コロナ災禍で一層活気を失った町はさびしい。

古書を開いたときの感動

執筆をしながら時々観光という日課の楽しみは、朝夕の散歩とレストラン探しだった。繁華街でも新本が並ぶ本屋さんは見当たらない。近くに一軒の古本屋があった。店頭で目を引いた箱入りの本は、日本不思議物語集成シリーズの「今昔物語」だった。

「総皮天金特装本」は、昭和48年(1973)の出版で、定価は¥15000とある。本屋の定価は300円、ずっしりと重い本を抱えてホテルに帰った。

 レンガ色の表紙には、金箔の背表紙と笹のようなイラストと文字が彫られ、各ページは見事なイラストと物語が書かれている。近年手に入れた箱入りの古典とは違い、重厚感がある。書籍が芸術作品だったなつかしい時代の遺品だ。

おわりに

今は昔、我が家の財産だった百科事典を思い出した。土蔵作りの家の二階に百科事典が並んでいた。田舎教師をしていた父が、戦前の平和な時代に揃えたのだろう。読みを学んだばかりの私は、無性に本が読みたくて百科事典を開いた。文字列を間違えたのか意味不明、ただマダムキューリーとの出会いがあった。ノーベル賞の夢を今は娘に託している。

ある日、その百科事典がすべて消えた。東京の本屋さんが買ったと聞いた。今のお金で数十万円くらいかも、教師だった母が資金にして「一大事業」を始めることが出来た。[KK.HISAMA,2020.9]

第4回 スーパー日本人論が語る「平和と民主主義」(後 編) 

『敗北を抱きしめて(上・下):第二次大戦後の日本人岩波書店2001John Dower, Embracing Defeat,1999

はしがき

 戦後隆盛した日本人論の最後を飾った『敗北を抱きしめて、今回は下巻を述べる。表紙のキャプションでは「天皇を固く抱擁し、憲法を骨抜きにし、戦後民主改革の巻き戻しに道をつけて、占領軍は去った。日米合作の『戦後』がここにはじまった。」

 下巻が述べる日米合作は、「日本の民主主義」「戦争の罪と裁き」「再建」である。戦後半世紀後に出版された本書は、多くの秘密文書から明らかにされた情報を取り込んでいる。残念ながら「去った」後の歴史は、エピローグで触れるくらいだ。

天皇制と憲法

 日本特有な戦後民主主義における天皇制と憲法は、マッカーサーを最高司令官とするGHQの占領下で生まれた。内容は「第四部 さまざまな民主主義」で述べられ、下巻の半分を占める。この部分は憲法改正の議論を進めるために貴重な資料である。

 読者は、戦後民主主義が日本の2600年の歴史の中で生まれ、外国人には理解できない特有な民主主義と気づく。議論の多い天皇制と憲法は、平和と人間関係を至上とする日本人の心情と深く関係している。

東京裁判をめぐって

 「第五部 さまざまな罪」は、茶番劇と批判される東京裁判で明らかにされる。裁かれ処刑された多数の日本人は、人種偏見や文化の違いによる犠牲者かもしれない。『菊と刀』の中で、ベネディクトは西洋の「罪と罰」に対して日本の「恥の文化」を指摘している。

恥の文化では、被告が反省することで刑が軽くなる。西洋の小説「ジャンバルジャン」は、「罪と罰」の厳しさを教える。また、死者の霊を大切にする日本の文化がある。グローバリゼーションが急速に進む中、迎合ではなく異文化理解の努力が一層重要であると思う。

エピローグから

天皇の声に始まった「戦後」は天皇の死(1989)によって終わったとする。著者は集団のイデオロギーにおける人種・文化・歴史である天皇制に抵抗感があり、日本の官僚的権威主義を批判する。しかし、国鉄の民営化(1987)、郵政民営化(2005公布)など、時代は大きく変化している。

エピローグ最後の二行が心に残る。「敗北の教訓と遺産は多く、また多様である。そしてそれらの<終>はまだ視野に入っていない」 [KK.HISAMA,2020.7]

第3回 スーパー日本人論が語る「平和と民主主義」(前 編)

『敗北を抱きしめて(上・下):第二次大戦後の日本人岩波書店2001John Dower, Embracing Defeat,1999

はしがき

 戦後半世紀に出版された数千とも言われる日本人論の最後を飾ったのが、『敗北を抱きしめて(上・下)である。終戦の日から連合軍(米軍)の支配下にあった期間に焦点を当てているが、半世紀が経ってから書かれた書である。膨大な資料に基づく1000ページに上る著書が、なぜ戦後半世紀を経て出版されたのか。更に出版から20年を過ぎた今、話題にするのはなぜか。

本書のあらまし

著者の日本研究は、ベトナム戦争で揺れた大学時代の日本文学に始まった。在日経験や日本女性との結婚を経て、米国の大学教授として、幕末に始まった西洋化の歴史を研究している。それは、ペリー提督の黒船(1853)に始まり、マッカーサー元帥が君臨した統治(1945-52)が終わるまでの歴史であり、93年間続いた戦争の歴史でもあった。

本書の内容は、終戦から20世紀の終まで半世紀の歴史である。太平洋戦争は、日本中60の都市が徹底的に破壊され、広島と長崎への原爆投下で終わった。著者は、敗者となった日本人の負の面「悲惨・混迷・悲観・怨念」だけでなく、半世紀に渡る正の面「希望・回復力・構想そして夢」を、敗北した人々の目を通して見ている。

本書の上・下巻は、同じタイトルでも、異なる著書のような印象を受ける。今回は、多くの写真によって、敗者の悲しみと絶望、変わりゆく生活文化を語る上巻を述べる。

写真で綴る敗者と勝者

 敗北の歴史は、ハイライトとなる占領時代初期の写真から始まる。写真#1は、ラジオの前に集まり、初めて天皇の声を聞く農民たち。玉音放送には「降伏」「敗北」のことばはなく、「戦争行為の再肯定と、天皇の超越的な再確認」だった。続く3枚は、勝利を喜ぶアメリカ兵と、日本兵の捕虜となり飢餓状態の米兵である。

 占領を告げる調印式が行われた軍艦・ミズーリー号の写真は、勝誇る連合軍の群れと、大空に向けられた巨大な大砲の群れだ。圧倒される日本の代表団の姿や、玉音放送に集まった農民の写真とは対照的である。

次は日本中60の都市を徹底的に破壊したB29と、破壊された都市の写真4枚。原爆で壊滅した広島の風景を歩く兵士の後姿は、本書のカバー写真となった。戦後の「平和と民主主義」の歴史は、世界で例のない破壊と絶望に始まったのである。(続く)[KK.HISAMA,2020.6]

 

第2回 スーパー日本人論・グローバル社会における変化

船曳建夫『日本人論「再考」』(日本放送協会, 2003. 講談社,2010

はしがき

 新コロナの出現と拡大は、行過ぎた国際化とグローバリゼーションへの警鐘とも云える。子どもから大人まで、海外への旅行、研修・留学・会議が通過儀礼となった時代の寵児となった日本人論はどうなるのか? 明治以降に刊行され、戦後はベストセラーが続出した「日本人論の総決算」とされる船曳の書に、日本人論の行方を考察したい。

近代日本人のアイデンティティの不安

20世紀の終までに2000冊以上が出版されたとも言われる。なぜこれほど多くの日本人論が生まれたのか。船曳は、「アイデンティティの不安」を仮説として、代表的な日本人論に絞って立証を試みている。アイデンティティとは何か、なぜ不安となるのか。

他者との関係で生きる人間は、両親・家族・親戚など血縁関係、隣人から国家までの集団の一員。アイデンティティは、集団の中の自分であり、個人主義の西洋心理学(Eric Ericson)で重要な概念で、小学校を終える12歳頃から成人期の間に確立する。

アイデンティティの不安は、未知の文化や新しい集団の中で起こる。日本人のアイデンティティは、黒船の到来と続く西洋化の中で意識された。明治時代に始まった日本人論の著者は、外交や留学など外国経験をした人、個人が経験したアイデンティティの不安が動機だった。

これまでの「日本人論」

 船曳によると、明治時代から20世紀の終わりまでの「日本人論」は、「対西洋」のナショナリズムを支える「安定剤、応援歌、鎮魂歌」であった。グローバリゼーションの中で、ナショナリズム自体が世界的に変貌している今、日本人論は「対西洋」から「対アジア」へ転換するのか、不要になるのか。その答えは、これまでの「日本人論」から発見できるかもしれない。

船曳は時代を、‘清・日露の高揚期、∪鐐阿慮瓢だった時代、戦後の経済発展の時代に分類。スーパー日本人論の内容は、明治憲法の国民、昭和民主主義的臣民として、〇毀院↓⊃人、J譴肇殴ぅ轡磧↓ぅ汽爛薀い肇汽薀蝓璽泪鵝↓ァ嵜祐屐彳本人、としている。

これからの日本人論

西洋化の中で意識された「アイデンティティ」の概念は、日本と西洋文化の民族との違いを浮き彫りにする。民主主義と平和を目標とした戦後の歴史は、アイデンティティの不安に向き合う「日本人論」が必要だった。言語と文化(=生活の全て)が画一化していくグローバリゼーション時代、アイデンティティはこれからの日本人論を考察する上で重要な概念である。(続く)[KK.HISAMA, 2020.5]

 

 

第1回 スーパー日本人論・導入編

南 博 『日本人論:明治から今まで』(岩波書店,1994)
船曳建夫『日本人論「再考」』(日本放送協会, 2003. 講談社,2010)

はしがき

 私は長い間、日本語・日本文化から遠ざかっていた。帰国後ある外国語大学のキャンパスに住むことになり(1994−2001)、夢中で日本人論の著書を読んだ時代がある。多くの日本人論が書かれ、世代を超えて読み継がれるのはなぜか。日本人論を総括した、スーパー日本人論とも言うべき書籍を二冊紹介する。

日本人論ブームの元祖による「スーパー日本人論」

 明治から平成時代(1994)までに、およそ一千数百冊の日本人論の本が出版されたという。著者は何らかの形で外国経験者。明治以前の日本人の記録は、来日した宣教師や外国人によって書かれている。

 戦後起こった日本人論ブームは、社会心理学を専門とする南 博(1918-2001)が火付け役らしい。南は戦時中(1943)にアメリカに留学し博士号を終えたが、帰国の許可を得られなかった。帰国後(1947〜2002)に、社会心理学者として数々の日本人論を発表した。晩年の著書『日本人論:明治から今まで』(岩波書店、1994)は、それまで日本で出版された千数百冊の日本人論から500編をまとめた書である。

クリティカルシンキングを求める「スーパー日本人論」

 南によるスーパー日本人論が出版されてから10年後に、イギリスで博士号を取得した人類学者・船曳建夫が、『「日本人論」再考』(日本放送協会、2003)を出版した。南の日本人論を「スーパー日本人論」第1号とするなら、船曳の書は第2号。日本人論を通して、変わりゆく日本人・日本文化を考察する書である。

 著者と読者を「日本人論へ駆りてる」のはなぜか。船曳は、理由を「日本人の不安」として、代表的な日本人論に絞って考察している。しかし、戦後60年が経ち、不安を感じない世代が生まれているとして、「日本人論を必要とした日本人の終わりが始まっている」とも言う。

おわりに

 21世紀へ入り20年、10年前に起こったスマホの到来、5Gなどインターネットの躍進、新コロナの脅威など、日本人論にどう影響するのか。次回からは、これからの「日本人論」を、過去の日本人論の進化と共に顧みたい。 [KK.HISAMA, 2020.4]

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