グローバル時代を生きる:自由と責任(その3)

グローバル時代を生きる:自由と責任(その3)

はしがき

自由と責任は、西洋民主主義の根幹となる概念である。前回は聖徳太子の「一七条の憲法」から、幕末から明治初期における西洋化の過程における自由と責任の思想について述べた。
日本で西洋式の憲法が制定されたのは、明治22年2月に発布された「大日本帝国憲法」。施行までに2年近い歳月が過ぎ、すでに明治時代の半ばを過ぎていた。

明治憲法以降の自由と責任

幕末から明治時代の医学がイギリスからドイツモデルに転換したのと同じく、憲法においても、イギリス主義からドイツ主義に転換している。明治政府の中で、文治派対武断派、進歩派対守旧派の対立が入り乱れるなかで、憲法の制定は日本の国体に近いプロシアをモデルとするための準備が始まった。
憲法によって政体は変わっても、国体はかわらないという考え方で、国体とは万世一系の天皇が親裁する体系である。天皇の責任をイギリスとプロシアの国王の責任と比較する。

憲法の制定と責任の体系

イギリスには「国王は悪をなしえず」という格言があり国王は責任を超越していた。憲法の元では「君臨すれども統治せず」、責任は大臣がとることになる。プロシア憲法では、もし失策があれば大臣が責任を取るが、国王は大臣の副書がなければ何事もできない制限がある。一方、国王には大臣罷免権がある。
「大日本帝国憲法」では、大臣の責任は天皇に対してのみ負われ、大臣の責任を追及する権限は議会にはなかった。「無責の体系」と言われる所以である。

日本国憲法における自由と責任

日本が無条件降伏をした直後、ソビエトや中国を中心に日本を共和制にする動きがあり、大混乱が予測された。新憲法によって天皇制を守るため、マッカーサーの指導で、憲法の草案を1週間で作成、旧憲法の改正草案要項は1日半というスピードであった。三大基本原理は、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義。

結 語

日本の伝統を根本から変えた日本国憲法の制定から75年が経過した。今、日本人の自由と責任が国際レベル(慰安婦他)と、国内のあらゆる分野(統計処理他)で問われている。
西洋の思想から見ると、日本人は「無責任」と見られるかもしれない。しかし、長い封建政治によって、自由と責任の意識が乏しい数千年の歴史を簡単に変えることは困難である。
憲法改正は、国民一人ひとりの責任の意識改革なしには不可能であろう。

[MM.HISAMA, 2019.3]

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