グローバル時代を生きる:自由と責任

グローバル時代を生きる:自由と責任

 

はしがき

政府はもちろん、一流企業から皇室まで、不祥事に対する非難のことばが飛び交う。評論家やジャーナリストはもちろん、ネットでは国民の声が日に日に増大。その中で最もよく使われる言葉は「責任」、「説明責任」は本のタイトルにもなっている。

西洋民主主義の根幹となる思想は「自由」であり、英語で”liberty” とか“freedom”。一方、「自由」と表裏一体をなすことばである「責任」の概念を理解し実行する人は少ない。西洋化の中で、「責任」は明治時代に訳された外来語。日本人にとっては、個人主義と同じように、違和感を覚えることばである。

 責任の英語は”responsibility” であるが、実用的なことばとして”accountability”がある。「自由」と「責任」は、民主主義社会が機能するため最も重要な概念。英語学習の目的を「文化理解」とするなら、幼少の頃から「行為責任」を生活の中で教えてほしい。なぜなら、グローバル社会に生きる日本人が、身をもって学ぶべき重要な概念であるから。

渡米後の生活で体験する「責任」の概念

アメリカは「自由の女神像」が象徴する「自由」を求める人々によって建国された。戦後民主主義によって、家族制度から解放された日本女性たち。渡米すると日本的な冠婚葬祭の古い慣習もないので更なる「自由」を得る。一方、アメリカ社会では「自己責任」という厳しい現実に直面する。

私は二○代半ば留学生の妻・乳児の母としてとして渡米した。大きなトランクを積んだ貨物船の客室の旅だった。アメリカ北西部の港へ到着した翌日、空路で中西部の都市に到着。当時の国家公務員の古い官舎から現在のマンションのような住宅へ。真冬でも家中が春のように暖かで快適な生活。スーパーハイウェイなど驚きの連続だった。

  数日後、街にでて間近に警官を見たとき肌で感じた不思議な感覚を今も思いだす。それは、警察官が全身で伝える厳しさ。日本の「おまわりさん」とは全く違う。子どもの頃に父から教えられた厳しい「行為責任」を思いだす経験だった。 

おわりに

 民主主義は憲法の制定から始まる。明治憲法の成立から百数十年、昭和憲法の歴史も八十年近い。今となって次々に明らかにされる不祥事は、民主主義の根幹となる「行為責任」の欠如としか思えない。今こそ、日本人としての「責任」という概念の国民的な理解と合意が必要である。

次回は、西洋と東洋における責任の思想の違いを比較し、これから日本人が果たすべき「責任」とは何かを考えたい。[KK.HISAMA 2018.11]

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