第4回 佐賀藩栄光の歴史と「日本人の英語」:後 編

第4回 佐賀藩栄光の歴史と「日本人の英語」:後 編

佐賀藩栄光の歴史と「日本人の英語」:後 編

はしがき

 日本の英語教育は、フェートン号事件(1808)の翌年に始まったと言っても過言ではない。明治(1868-1912)から60年以前のこと。この事件をきっかけに、幕府は本木正栄ら6名の長崎通詞(通訳)に英学修行を命じた。事件では、長崎御番として警備に当たっていた佐賀藩部隊の怠慢が明らかになり、関係者が処罰され、藩主・鍋島斉直は100日間も続いた謹慎を命じられた。

事件をきっかけに、新藩主・鍋島直正(1814-1869)のリーダーシップの元、幕末から明治初期の佐賀藩栄光の歴史が始まった。直正は佐賀城下に医学館を建て、勉学奨励の論告を発し、上級藩士子弟の勉学を義務化。幕末佐賀藩の英語教育は、国際都市・長崎の恩恵もあり、日本の魁だったと思われる。

日本の英語教育の歴史と小学校英語

 驚くべきことは、英語教育をめぐる論争が明治維新以来続いていること。広く国民に知られた論争は、1974年、平泉渉(参議院議員・外交官)と渡辺昇一(上智大学教授)の間で起こった。論点は、 ̄儻豢軌蕕鬚瓩阿觚果、英語は必須科目にすべきか否か。

およそ15年後、抜本的な外国語教育の改革(H元年、1989) 。改訂された学習指導要領では、「コミュニケーション」のための英語が目標。やがて小学校英語の試験的導入。この改訂から20年後、「外国語活動」が5,6年生の必須科目に(2008)に。最後は小学校英語の教科化=必須化(2020)である。

すなわち、平泉・渡辺の大論争から46年後に小学校英語が必須化されるのだ。必須化まで1年半となった今、教育現場における二大課題は、ゞ軌蕕謀たる教員が極度に不足、中学校英語との連携。この問題と格闘しながら泥縄式の対策が続いているが、戦後75年も停滞している英語教育の成果は期待できない。

日本の民主主義の挫折

 ことばの科学の研究結果からみると、母語さえ確立しない小児にとって、生活言語ではない英語学習の効果はきわめて限定的。年齢が低下するほど脳神経の健全な発達を害する。戦後75年の英語教育で果たせなかった責任を小学生に負わせることは、文部科学省「児童の権利に関する条約(1998.10)」に関わる人権問題と言えるのではないか。

江藤の処刑は明治民主主義の挫折であり、その後日本が邁進した軍国主義の道へ。それは、焦土と化した国土の中で迎えた敗戦の悪夢から切り離しては考えられない。それから75年経った今、小学校英語の必須化は、昭和民主主義の挫折としか思えない。なぜなら、学校英語の政策は30年前に改革された学習指導要綱の延長。その後、急速に発達した脳神経学が発見した脳のメカニズムと、それを適用した人口知能によることばの発達以前のもの。目標とする「コミュニケーション」が英語業者と同じと考え、効果の見えないALTの斡旋・海外研修・SKYPEなど、学校教育が英語業者に支配されている現状があるからだ。

結 語

ことばは文化。日本は植民地化を逃れ、軍国主義の惨事を克服し、占領軍による日本語への脅威を回避した歴史がある。生活言語ではない英語による総バイリンアルの教育政策は、脳の科学から見て実現は不可能。日本語と日本文化が亡びる道筋である。ことばを習得する脳のメカニズムとは何か、ことばの科学を理解しないまま、外国語教育を続けている教育者と政府の責任が問われる。[KK.HISAMA 2018.9]

 

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