第6回 「日米会話手帳」:その後の運命と遺産

第6回 「日米会話手帳」:その後の運命と遺産

 

「日米会話手帳」の運命

 手帳が世に出た直後に22冊の類書が出版され、以後、英語関連書は増加するばかり。まだ手書き原稿の時代だった過渡期に、私もアメリカで研究した博士論文を基に一般書(生きた英語を学ぶ知恵:大修館書店,1981)を出版しました。今では、ワープロやコンピュータで原稿が容易に書けるようになり、書籍や雑誌が年間数万冊は出ているようです。 

アメリカの奨学金や一流会社の資金で、留学が可能になった1950年代からは、街の英会話教室が開始。やがて海外旅行・海外勤務・自費留学など新しい英語ブームによって、教室は日本中に拡大。1980年代からは、政策による一連の国際交流事業やALTの導入など。英語事業は一大産業に発展したのです。

 こうした日本の英語事情を観察して思うのです。過去に出版された百万を超える英語の書籍・雑誌、日本中に見られる英語教室、学校教育の現場で教えるALT。自治体の努力で小・中学生まで広がる海外研修と留学。それでも成果は微々たるもの。あの戦禍の中で、不死鳥のように舞いあがった「日米会話手帳」こそ、日本人の英語教育の原点だったのでは・・・。

「日米会話手帳」半世紀後の遺産

最盛期には三十万とも言われた駐留軍。日本中で見られた兵士と接触して、日本人の新しい人生が始まりました。関連書に掲載された11のエッセイは、当時の若人が実用英語をどのように学んだか、手帳が意図した実用英語は学校教育において、なぜ忘れられたかのか、を語っています。

 仕事を得るため駐留軍の現場に寝泊まりし、夜も昼も耳からの英語を学んだ人。少年時代に若い駐留軍と知り合い、生涯にわたる交流を続けた人。英語人生の成功者の話は様々です。米国の大学図書館に保存された一世の日本語の研究事例もあります。

 「隣のミセスはラーストイヤー、ハートアタックでの、今はオーライじゃけん」とか「・・・ワンダズンはうちのガールのとこへな」というふうに、耳で聞いた英語と地方弁です。一世の英語は年々増加するカタカナ英語を、得意に話す日本人を思わせます。英語教育の最大の成果はタカナ英語の増大なのか。これでは、美しい日本語を失っていく移民の英語レベルと同じ。

 おわりに

生きるための英語を教える手帳の悲願は、ちらしのように捨てられた360万の手帳と共に忘却の彼方に。英語にうかれる人たちは、戦火の焼け跡から舞い上がった不死鳥の無念の気持ちを思う心の余裕はあるのでしょうか。

 

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