第5回:「日米会話手帳」・英語学習の原点

第5回:「日米会話手帳」・英語学習の原点

「日米会話手帳」とは 

終戦の玉音放送を聞いた日、S出版社の社長の脳裏にひらめき、一か月半で出版された本(1945.10)のタイトルです。紙の供給さえ困難な時代、更紙32ページの本は、タテ・ヨコが9X13センチ、厚さ2ミリ。評論家のK氏は、本屋で初めて出会い「薄いパンフレットながら光輝いているように見えた」と言います。

およそ3カ月で360万のベストセラーに。その間に類書が続々と出て絶版となり、今では幻の書です。是非ともこの本を見たいと思った私は、図書館を通して入手しました。複製版でしたが、原書を思わせる本を手にしたときは、小さな赤ちゃんを手のひらに乗せたような感動を覚えました。

「日米会話手帳」の内容

 図書館からのフォルダには、朝日新聞社からでた関連書(1995.8.15)が一緒に入っていました。内容は原本の全コピーと、国弘正雄など有名人による手帳との出会いに関する13のエッセイ。彼らは手帳から英語を学んだよりは、新しい人生を歩むきっかけになったこと、英語教育がそれまでのイギリス英語から米語へ転換したことなど、述べています。手帳は戦後日本の英語教育を導く錦の御旗だったのです。

 最後の2ページにある「さざえさん」の漫画(1946.5.1朝日新聞・夕刊掲載)は、当時の英語熱を示す圧巻。以下は漫画8コマの内容です。

四肢があらわな洋服、小さい帽子の「さざえさん」―馘垢料阿蚤を止め、買ったばかりの本とにらめっこ、て擦杷呂瞭に自分の頭を衝突「アイアムソーリー」。キΔ佑鵑佑海涼罎棒屬麕靴鯒愽蕕辰読廚板へ。外人を見る度に「ハロー」と手を高く上げる。А屬澆辰箸發覆い勝廚班廚肪躇佞気譴襪函↓─屬世辰堂燭きっかけになってアメリカに留学できるかしれないわよ」と開き直る。夫は卒倒。

 手帳が喚起した日本人の英語熱は、育児で忙しい主婦にまで広がったのです。背景となった時代は、主要都市が戦火で焼け、二度の原子爆弾投下から間もない頃。青空の下の闇市で、おにぎりを買うお金を節約して古本など手にいれたS氏(アメリカの歴史が専門)は、手帳について次にように語っています。

 この手帳は、「重苦しく、封建的で非合理的」だった日本の社会で、「明るく民主的で合理的なアメリカ社会」をのぞく窓が輝くようにみえた。英語が生活では不要、海外渡航など不可能な時代、手帳は見果てぬ夢のようなもの。読まなくても机の上に置くだけで夢は夢であり続ける・・・自分は「それでもう十分だった」。・・・続く [KK.HISAMA 2017.10]

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