読書コーナー(平成28年度)

読書コーナー(平成28年度)

ありえたかもしれない過去とありうるかもしれない未来 (後 編)

 平川克美:喪失の戦後史・ありえたかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来:東洋経済新報社、2016.9

はしがき

後編は最も長く重要な第五講です。前編は、1973のオイルショックまで40年ほど続いた成長期、中期は20年近い安定期で1990年頃終了。後編は、爾来30年近い歴史から学ぶことは何か、そして未踏の未来をどう生きるのか。

第五講 分断の停滞期:長期デフレという嘘と「三方一両損」の時代

 五講の内容は13項目。国民の生活史に主眼を置く経済論が多く、経済の変化と、人口動態と、国民の価値観の変化が中心です。ここでは二つのサブタイトル「長期デフレ」と「三方一両損」をキーワードとして要約しました。

1.「長期デフレ」

1990年以降の「デフレ」経済は、本当のデフレではないことを多くの項目で検証。それは経済成長が終わり、経済が定常している時代です。根本的原因は人口動態であり、デフレ対策では解決できないのです。経済の停滞を打開しようとする政策は、グローバリズムに振り回されているばかり。ふくらむアメリカの貿易赤字・財政赤字・リーマンショックによる打撃。中でも、アメリカの要望書に従った会社組織の変化と、自己責任・自己実現など新しい価値観によるダメージは大きいとしています。

2.「三方一両損」

このキーワードに関連する項目は「家業と相互扶助論」「自由と孤独のアメリカン・グローバリズム」「思想・信条以上に大事な『徳』」など、日本人古来の生活の知恵を挙げています。それは、成熟した民主主義の知恵であり、落語の「三方一両損」。すはわち、人口減少社会では、みんなが果実を分け合うのではなく、不満(痛み)を少しづつ分け合うのです。果実を分け合う日がくるかも・・・それまでは最良の生き方です。自己責任は重要だが、何事も行きすぎは危険。経済成長の停滞や格差は、問題ではなく答えなのです。

コメント

著者は、日本人がこれまで「ありうる現実から乖離した、あらまほしき希望に有り金を置くようなことを続けている」おろかさを教えてくれます。グローバル化の波に乗った外国人や、海外生活を経験した日本人が否定する日本主義は日本人の優成遺伝子。アイデンティティを失わないために、日本人の過去と未来を客観的に、かつ、ポジティヴに考える遺伝子なのです。著者が観察した「不幸なアメリカ人」の姿は、アメリカで生活した人なら誰でも理解できると思います。[KK.HISAMA 2017.1.12]

ありえたかもしれない過去とありうるかもしれない未来(中 編) 

平川克美:喪失の戦後史・ありえたかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来:東洋経済新報社、2016.9

 はしがき

前編では第一と第二講を紹介しました。第三と第四講では、とてつもない経済変化を分析し、経済がもたらした家族の変化を軸にする生活史です。最初の二講では、戦前と戦後の生活史の変化を象徴する小津映画を二本挙げました。今回の第三と第四講では、高度成長期が必要としたヒーローを『あしたのジョー』として、続く経済安定期は『釣りバカ日誌』で象徴、40年近く続いた世相の変化と日本人の価値観の変化を語っています。

 第三講 高度成長期の希望:ヒーローを必要としていた時代

 高度成長の幕開けは神武景気(1956)。朝鮮戦争(’50-’53)は口火になったが、高度成長期が20年近く続いた原動力は、戦後の財閥解体と農地改革、それらがもたらした自由な空気。富の分配による購買力の増進・総需要の急伸が起こったのです。経済成長を後押しした政治においては、すぐれた日本経済理論学者・下村治と政治家・池田勇人との出会いが重要。高度成長期は石油ショック(1973)で終了、『あしたのジョー』完了の年でした。

 第四講 相対安定期の夢:『あしたのジョー』から『釣りバカ日誌』の時代へ

 高度成長期は国民が貧しい時代だったから可能でした。やがて生活レベルを示すエンゲル係数の変化が証明する経済先進国日本が誕生し、経済の安定期に入ります。安定期の原動力は、週休2日制、コンビニの隆盛、労働者派遣法改正、インターネットなど。安定期は1973年に始まり、高度成長期と同じ長さで継続して1990年に終了しました。

 最も重要な変化は、安定期の原動力によって、日本の盤石だった伝統的な家族形態が不可逆的に崩壊し、経済成長のためのグローバル時代が進展したことです。

 おわりに

次回の後編は、最終となる第五講:『分断の停滞期:長期デフレという嘘と「三方一両損」の時代』を述べます。非常に長く、本書のタイトルに応える最も重要な内容。著者は過去への反省、現在への洞察、そして日本人の未来について論じています。そして、日本主義という優勢遺伝子について、客観的かつポジティヴに考える機会を与えてくれます。[KK.HISAMA2017.1]

ありえたかもしれない過去とありうるかもしれない未来 (前 編) 

はしがき

 田舎教師だった父は抜群の記憶力で歴史が得意でした。同じく歴史好きの私は、年の瀬を迎えると過去を思い、未来を考える時間を大切にしています。今回の選書は、歴史を学ぶ意義から始まりますが、学術書ではなく昭和を生きた人間が語る人生哲学です。

平川克美:喪失の戦後史・ありえたかもしれない過去と、ありうるかもしれない未来:東洋経済新報社、2016.9

戦前と戦後の貧しい時代

  本書の内容は五講。各講のタイトルと、その内容を示す副題のキーワードは:1.忘れられた戦前昭和「帰ってこなかった次男たち」、2.占領下の日本「日本封建制の優勢遺伝子」3.高度成長期の希望「ヒーローの必要」、4.相対安定期の夢「釣りバカ日誌」、5.分断の停滞期「長期デフレの嘘」。今回は第一と第二講について語ります。

 第一講:昭和20年の敗戦を機に、日本は大きく変化していきます。それまでは、明治憲法の下で堂々たる「独立国家」が、敗戦と同時に突然消失。占領後の「独立国家日本」は、それまでの独立国家だった日本とは違うのです。どう違うのかについて著者は、小津安二郎監督の戦前と戦後の二つの映画を語ります。戦争で失った人をもつ無数の家族が「敗者」となり、新憲法は家族壊滅の危機を増長していきます。もしも、戦争の道をまい進しなかったら・・・本書は昭和初期を軸として過去と未来の想像へと進みます。

 第二講:前提と本題に分割。やや長い前提は、急激な人口動態の変化が中心です。資源のない島国で急増した人口を支えるために、日本は海外進出の道しかなかったのです。戦争から平和への歴史の中で起こった人口動態のグラフは「恐ろしい」ばかり。少子化は経済発展の結果なのです。貧しいから子沢山。少子化はお金で解決できないのです。本題は、激動の時代を通して変わらない確固とした日本人の精神構造。一例として、名だたる共産党の幹部が示した日本主義への回帰を挙げています。それは、英・米・仏の自由・平等とも、中・露など社会主義国家の権威・平等とも違う日本主義の遺伝子です。中国・ロシア・キューバなど、世界の社会主義国も、実はイデオロギーではなく家族共同体の一つのかたちと考えることができます。しかし、日本主義は家族主義ながら、彼らの共同体とは違うのです。

おわりに(前編)

日本封建制の優勢遺伝子が、経済の高度成長やグローバリゼーションの時代にどう変化するのか。第三講からのトピックになります。[KK.HISAMA.2016.12]

 

特集:読書文化の国際比較 

はじめに

読書文化は、言語と読者が生きる時代と社会情勢などを総合した文化です。例えば、物と情報があふれるIT時代と、物が希少価値だった時代の読書は大きく異なります。読書文化の中では言語が中心ですが、メディアや社会情勢の影響も重要です。

世界の歴史は絶え間ない民族の争い、結果として言語と文化の淘汰の歴史でもあります。中国語やアラビア語は、英語よりも遥かに古い歴史と文化があります。音声言語に限定すると、グローバル化以前は、何千、何万というコミュニティの言語がありました。しかし、19世紀以降の工業革命や、20世紀後半における情報革命によって世界の言語は急速に減少。今では6000語ほど、その中で高度に発達した文字言語は少ないのです。

インドやアフリカ大陸など、国家が大きいほど言語が多く、その種類は数百から数千とも言われます。多言語社会では、ビジネスはもちろん教育や外交の場面でも、世界の主要言語を採用する選択肢しかありません。こうした事情を背景に、ビジネス・外交の世界語となった英語と、言語のルーツが全く違う日本語の読書文化を比較して見たいと思います。

 

文字言語のかたちと読書力

 どんな言語であれ、文字言語は音声言語が原点となります。生活の中で文字を使用しなかった歴史は長く、庶民による読書の歴史も本当に短いのです。今では、世界中で子どもが、5-6歳までに音声言語の基本を習得し、学校教育で文字言語を勉強します。生活に必要な音声言語をマスターしてから文字言語の学習を始めるのです。

文字言語は大きく分けて、音声の意味を視覚で伝えるもの(ピクトクラフィック)と、音の響きを文字にしたもの(シラビック)があります。中国が言語と文化の先進国だった時代、日本は中国文化を輸入するために漢文を学びました。その結果、日本語の文字言語は、漢字を中心にした視覚型です。

 文字言語のかたちは、読書に大きく影響します。視覚によって意味を伝える漢字は、視覚を通して言葉の意味がすばやく理解できます。一方、聴覚で伝える西洋語は音が前提。そのため、内容をすばやく理解する読書力(読む能力)は、音声を聞く能力、文書力(書く能力)は話す能力が重要です。

次回は、こうした文字言語の違いが、言葉の意味を汲みとる読書力やメディアへの影響を考えてみます。[KK.HISAMA, 2016.11]

 

今年度の読書について

今年度の読書コーナーは、西洋化を推進してきた日本人の精神性を、国際的な視野から考察する書籍を選択していきます。例えば、英語学習最大の問題である心の壁は「悪」として取り払うものではないのです。心の壁は自我を守る無意識の防波堤のようなもの。国民全体がこの壁を意識し、それに配慮する学習法を考え、実践することが求められるからです。

事実上必須科目とされている戦後70年の英語教育は、教える人・学ぶ人両者による英語への「自信喪失」という負の歴史に見えます。自信は自分が進歩しているという満足感によって生れます。これまでの学校教育から、そうした実感が湧かないのです。問題の中心は「オーラルイングリシュ」。教育者・学習者による失望は、背景にある日本人の精神的な壁を本当に理解していないからと思います。やみくもに子ども英語を学ばせる親、すぐに使える英語を望むビジネス界、理論に乏しい英語産業の教育など、政府はもっと冷静に考えてほしいのです。

学習のため失った膨大な「時間」と「自信」は「ノンリニューアブル」、二度と帰らぬ運命にあります。今世紀の前後から小学校英語をめぐる国家的な議論は、論理よりは感情論が優勢。小学校英語の必須化は混乱状態が続くばかりです。教員も生徒も実力を養う小さな一歩を踏みだすことから生れる自信の芽がでていないのです。

西洋文明の原動力となったキリスト文化の影響によって消滅した民族と言語はたくさんあります。文化と言語は一体であり、征服されるとどちらも消滅します。東洋の果ての小さな島国で、豊かな言語と文化を作り上げた日本。一方、紀元前千年いや二千年も前に発祥し、ヨーロッパを制覇しながら、消滅したケルト民族の文化と言語の歴史から学ぶことは多いと思います。グローバル化と英語の嵐の中で、日本語をどう守るかは重要な課題です。今年度の「読書コーナー」では、今ではアイルランドを中心に幻影をとどめるケルト民族の文化と言語の歴史から始めましょう。

ケルト民族の文化と言語の歴史に学ぶ

選書に先立ってケルト民族の歴史について要約します。考古学や古代の記録によると、ケルトの歴史は紀元前千年ですが、それより千年も前に始まったと推測されています。発祥地はロシア南部。弱肉強食のヨーロッパ大陸でケルト制覇のハイライトは鉄器時代の技術。鉄製の農具は食料の生産を高め、武器によって戦争の勝者となり、公域を流れる河川の水路による貿易によって強い経済力を培ったのです。

国家という障壁をもたないケルトによるヨーロッパの支配は、今のユーロ圏の発想と似ています。そして、貿易のためにケルト言語が各地で使われるようになったのは、現在の英語に似ています。古い民族であるケルトの決定的な短所は、言語が口述だけのコミュニケーションで、文字が発達しなかったこと。また、あまりに広域に拡大したので、すぐれたリーダーによる民族の団結が弱かったことなどがあります。小さくても団結が強い民族によって征服されたのです。

キリスト教のような強力な一神教ではなく、自然への敬虔な信仰心を示すケルトの遺跡は、現代科学の英知にもまさる貴重な遺産。イギリス南部からアイルランド・スコットランドまで、各地で発見されて多くの観光客が訪れています。(以下、次回に続く)[2016.6]

 

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