第4回 なぜ「生きた英語」ができないのか?

第4回 なぜ「生きた英語」ができないのか?

はしがき

前回「生きた英語」とは、グローバル化の中で、それが使用される「場所」と「時代」の影響を受けながら変化するコミュニケーションのための英語とした。「生きた英語」の変化は、音声において顕著に見られる。生後すぐにも音声に耳を傾ける新生児は、言葉を話すまでに3年はかかる。更に2−3年経って、ようやく文字を読み始める。外国語学習では、母語の読み書きができる段階で始まる場合、音声と文字が同時進行するので、学習者は母語の音声・文字と文化の影響を受ける。このように、母語の学習は外国語の学習とは必然的に異なるのである。

日本人が英語ができない理由は、日本語と英語の乖離とか文化の違い、日本語の高度な発達など非常に複雑である。しかし、生きた英語ができない最大の理由は、学習者側と教える側における日本人特有な心理構造から来ていると考えられる。日本人の心理構造を述べる前に、英語教育における二つの特異な現象を述べる。

(1)外圧による学習:戦後70年の英語教育において、学習者は選択肢を与えられていない。子どもの英語熟を担当したJさん(米国出身)によると、全員が「おかあさんに言われて・・・」と答えたと言う。学校英語はすべて「必須科目」であり、専門学校や大学では進路は違っても必須。就職では検定試験、海外留学や派遣ならTOEFLやTOEICが要求される。日本人の英語学習は外圧によって進められたもので自主的ではない。

(2)根強いネイティブ神話:最近会った小学生の父親は、九州最大のH市から引っ越して子どもの英語教師を捜している。今では大都市でさえネイティブの教師は見つからないと言う。ネイティブへのこだわりは長い歴史があるが、実はネイティブ依存が日本の生きた英語教育の大きな障害となっているのだ。

これらニ大問題を意識して教育方法を改善しない限り、「生きた英語」の発達はきわめて困難と言わざるを得ない。

英語教育の歴史

(1)の外圧によって学習者が主体性を与えられないことは、学習の成果を挙げるためのモチベーション(動機とか熱意)が低いことになる。どんな教育においても動機なくしてよい成果は望めない、特に日本語とは根本的に異質な英語においておや・・・。(2)のネイティブ神話は、英語教育における日本人教師の自信喪失と責務回避につながっている。例えば、今から30年前に始まったJETプログラムは、年間5000人のネイティブが学校教育に関わっているが、英語力への効果は不透明のまま継続されている。英語教育を見るとこうした負の要素は、学ぶ側と教える側の両方からきていると思う。

日本の英語教育の歴史は、オーディオ機器など全くない明治時代に始まった。少数のエリートは、政府お雇いの外国人教師から文法と翻訳を学んだ。その後における日本の発展から考えると、こうした英語教育は大きな成果があったことに異論はない。宣教師から外国語を学んだ歴史もあるが、彼らはむしろ布教のために日本語を話した。戦後は、基地に住む軍人や家族からも英会話を学べるようになったが、ネイティブによるオーラル・イングリシュの学習はきわめて困難であった。

ところが、戦後十数年が経って携帯ラジオやテープレコーダーが容易に手に入るようになると、留学を志す人はこうした機器を利用できた。彼らはラジオやテレビで放送される「英会語」を熱心に学んだ。すなわち、日本人教師によるオーラルエングリシュは1950年代頃から可能だったのである。

それでも学校英語が開国時と同じ文法と英文和訳を主流としたのはなぜか。そこには日本人の遺伝子とも言うべき根強い心理構造が考えられる。

「甘え」と「ブーム」の心理

心理学者・土居健郎は戦後間もなく公費留学生として渡米、アメリカで経験したカルチュアー・ショックを基に、日本人特有の心理構造である「甘え」に気づき、高度な学問へと発展させた。ここでは深く言及できないが、「甘え」は日本人の宗教とも言えるほど強力であり、日本文化の形成の核とさえ言える大切な概念である。ただ、過度の甘えが、時代が求める英語教育の足かせとなっていることは危惧すべきである。

一方、ブームの心理は、イギリス出身のジャーナリストで、後に日本の大学で学長を務めたG.クラークの日本人論の中にある。それは日本人のアイデンティティである集団主義を基礎とする。日本の集団主義の根底にあるのは非イデオロギー的かつ感情的であるため不確実で危険な要素を内抱する。日本の英語教育の歴史も、典型的なブームによって支配されてきた。終戦直後360万部売れた『日米会話手帳』、1970年代国際化のブームと並行して全国に広まった英会話教室や、英語書のベストセラーなどがある。2000年代に入ると企業のグローバル化の中で、小学校英語と企業によるTOEICテストが第三の英語ブームを起こしている。いっとき衰退していた英語塾は活気づき、TOEICと子ども英語教室で生き残りをかけている。

イデオロギーのないブームの危険についてG.クラークは、日本が西欧の帝国主義の野望を輸入、感情的で破滅的な軍国主義への突入と敗戦、反動としての情緒的・本能的な平和主義を指摘している。大学入試とTOEICテストの得点を目指す学生と社会人、彼らが入試を目標とする限り、小学校英語は入試英語競争の時期を早めるだけではないのか。昨今の英語ブームを見ていると、美しい日本語と日本文化が破滅へ向かっているかのようにさえ見える。

次回のセミナーでは、こうした社会的変化の中における英語教育のあり方、教員の役割、ブームに振り回される両親と子どもたちについて論考する。

[KK.HISAMA,2015.3]

 

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