第3回 グローバル時代の「生きた英語」

第3回 グローバル時代の「生きた英語」

はしがき

  最近、久しぶりに上京したとき、某出版社で日本人の英話が話題になった。グローバル時代の英語教育について指南の多い書『日本人はなぜ英語ができないのか(鈴木孝雄:岩波新書、1999)』が話題に上ったとき、この道のベテラン編集者S氏がつぶやいた。「それでも英語が向上しないのはなぜ・・・」。そのときから、2カ月ほどこの課題に取組んでいる。情報収集だけではなく、教育の現場視察や関係者との面談も重ね、ようやく発見した答えがある。それは、時代が求める「生きた英語」を明確にした科学的学習法である。
  文献研究は、図書館や書店にぎっしりと並ぶ英語の本を調査した。これらは、自らの「生きた英語」の習得法を発見し、英語をマスターした達人によって書かれたものが多い。しかしながら、自己体験による学習法に留まっており、科学的研究をベースとしていない。ネイティヴ・スピーカーの本も多い。残念ながら、彼らにとって英語は母語であり、日本人が「生きた英語」を学ぶ課程を経験できない運命にある。こうして戦後70年、頼みの綱としてきたネィティヴ・スピーカーも入れて、日本人に「生きた英語」を教える科学的方法は学術書に留まり、一般人には明らかにされていないようだ。
   最近になって、こうした現状に希望の光が見えてきた。一つはデジタルツールが出揃ったことで、英語ができない日本人が、「生きた英語」を身につけるチャンスが到来した。教師が「生きた英語」の学習方法を指導し、奮起させることができるなら、学習者は主体的に取組んで、「生きた英語」をマスターできるだろう。もう一つは、検定試験やTOEICに代表される英語の能力試験・入学試験が英語の4技能をテストする方向に転換し始めたこと。従来の読み・書き・文法だけの受験勉強ではなく、IT機器を使って「聴く・話す」技能がテストできるようになったのだ。こうした事情は従来の英語教育に転換を迫り、新しい学習方法を求めている。学生も教員も学習への真剣なコミットメントなしで試験を突破できないのだ。
   実は20世紀の半ば、英語圏においてバイリングアルの英語学習者の心理的作用に注目する学習方法が研究されていた。背景となる理論と実践はアメリカの言語学者らによって提唱され、私の博士課程の研究課題であった。それは学習者を主体とする方法で、彼らに「生きた英語」を学ぶ喜びを与え、学習意欲を掘り起して行く。教師は同じ目的意識を持って、学習者が主体的に取組むことが出来るカリキュラムを作成する。そして両者は目的に向かって共に歩み続ける・・・。デジタルツールは、「生きた英語」のコミュニケーション能力育成において手助けをする最新版である。
  本シリーズでは、半世紀に及ぶ研究と実践に基づいて、グローバル時代の「生きた英語」とは?その教授法とは?について具体的に述べていく。
 

「生きた英語」とは?

  「生きた英語」とは、相手と心が通うコミュニケーション能力で、単純に考えると「コミュニカティヴ・イングリシュ」である。英語のネィティヴとて百花繚乱、本家であるイギリス、かつてはイギリスの支配下にあったアメリカ、オーストリア、ニュージランド、カナダ英語もある。しかもそれぞれの国家では、地方特有な英語があり、在住外国人や移民の英語も多い。アメリカの大都市では、ブラック・イングリシュや世界中からの移民が話すブロークン・イングリシュが幅を利かしている。
  また、アジア、アフリカ、中南米の国々は欧米の植民地だった歴史がある。今も英語や仏語が公用語であるが、日常生活では母語が話される。私が指導したコンゴ出身の院生の話では、国内で200種以上の地方語があるという。このように、相互理解できない地方語の数が多すぎる上に、時代が必要とする高度な言語文化も発達しなかった。これでは母語による教育はできないし、国家としても機能できない。先進国の言語を公用語にするしかないのである。
  今日、英語を公用語とする国家が多いため、英語は「地球語」とか「国際共通語」と呼ばれている。国民にとって、英語はよい収入を得る仕事に就くために必須言語であり、サバイバルのための言葉である。しかしながら、それらの国家においても、長い歴史と豊かな文化があり、それらを伝える母語への思いは強い。最近出合ったフィリピンの男性によると、学校教育はすべて英語であるが、日常生活では母語によって心が通うコミュニケーションが営まれているという。
  アジアで唯一非植民地だった日本では、外国文化を学び、高度の言語文化を発達させた。おかげで、国内で生活する限り英語を必要としない。地方都市ではネィティヴ・スピーカーの英語教師は皆無に近い。「生きた英語」を学びたい市民は、インドやバングラディッシュの留学生から習っている。大手SM銀行さえ、社員の英語教育はフィリッピンで行っている。一方、メディアの英語はすばやく和訳され、在日外国人は日本語ペラペラ。彼らは必ずしも日本滞在が長いわけではない。私が会った四人の国際交流員は全員が日本語ペラペラ。初めての来日という人もいたが、米国で日本語を学び、聴く・話す・読む・書く、のすべてをマスターしている。足をすくわれるような複雑な気持ちがした。
 

結 語:

  グローバル時代の「生きた英語」は複雑である。死語でないかぎり、言葉は生き物のように背景となる文化と密接に結びつき変化していく。母語であれ外国語であれ、言語コミュニケーションは、生物の世界で人間だけができる技。では、日本人にとってグローバル時代の「生きた英語」とは何か?なぜ、「生きた英語」ができないのか。次回の課題としたい。[KK.HISAMA 2015.2.28]

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