第5回 家で逝きたい人の心理・後篇

第5回 家で逝きたい人の心理・後篇

はしがき

  前編では「家で逝きたい」という願いを実現するための七つの条件を述べた。それら条件の中心となるのは、逝く人の強い意志と覚悟、その背景にある死生観、そして本人を支援する人々の死生観である。後編では時代と地域・国家を超越する普遍的な死生観を考えてみたい。

メーテルリンクの死生観

  死生観が純粋で普遍的であるためには、影響する要因である宗教と科学、中でも二十世紀中葉から急速な発展を続ける現代医学の影響をとり払わければならない。科学の世紀になって死の課題にチャレンジしたのは、今から百年以上も前、すなわち、科学最盛時代となった二十世紀初頭に活躍したメーテルリンクであった。一世を風靡した児童劇『青い鳥』に続いた『死後の存続』の中で、彼は世界規模に拡大したキリスト教など諸宗教と医療を批判する死生観を発表した*1。

  『死後の存続』の第一章でメーテルリンクは「はるかな昔から、医者と坊主が死を苦痛に充ちたものにしてきた」というナポレオンの言葉を引用している。「医者と坊  主」という日本語訳は、すでに軽蔑の意味が含まれる。一方、西洋では医師と神父は社会で高い地位を与えられ、一般の人に信頼され尊敬される職業人である。キリ スト教の人間愛の精神によって人間の病気や苦しみを癒すと考えられる医師と聖職者である神父が、なぜ死を苦痛に充ちたものにするのだろうか。その理由は、医者は病苦と死を直結して考えること、神父は死後の世界と現世における生を連動するからであると言う。医者と坊主は彼らが信奉する死の考え方によって人間の生と死をコントロールするからである。 

  メーテルリンクは、病気と死は次元が異なると考える。なぜなら、病気から回復すると病苦は忘れるように去ってしまう、もし病気が回復しないで末期(まつご)の苦しみを経験するなら、それはあくまで生の出来事である。次元が異なる生の苦しみと死は全く関係がないのだ。それなのに、医者は病苦と死を一緒にして死は「戦うべき敵」とし、病苦を長引かせるだけしかできない。病気の苦しみが延長すれば死の恐怖が増幅し、死の恐怖は更に生の苦しみを延長させる。助かる見込みのない病人の場合、肉体の次元の生を極限まで維持することは、「殺さずに殺すこと」に等しいと言う。

変わりゆく日本人の死生観

  臓器移植から延命医療まで、西洋医療が進歩を続ける日本でも患者は進んで医者の足元にひれ伏し、医者の加護を求めようとする。医者と患者がもつ病苦と死に対する偏見は、メーテルリンクが指摘するように、理性の奥に埋もれている仏教やキリスト教など世界宗教の影響によるものである。仏教やキリスト教が心の奥に残した恐怖心によって、人々は死後の世界では多くの苦しみが待っており、地獄の生活はこの世の絶えがたい苦痛よりもひどいと信じている。近年になってホスピスの考え方が普及し延命治療は減少しているように見えるが、依然として極限までの生を可能にする医学の力の前にひれ伏してしまう人々が多い。

 次に述べる例は、戦後いちはやく新制大学で教育を受け、社会で指導的な地位を得た夫と妻の実話である。大学教員である夫は五十代で「九死に一生を拾う大患」をした後も、「僕は、プロダクティブでなくなったら、生きていたくないな」という明解な死生観を語っていた。彼の生きがいは、若者を教え、語り、文章を書くなど学術的な仕事をすることであり、大病から回復してからも同じ死生観を持っていた。それから七年経って彼は再度病気で倒れ、病院で気管切開、経管栄養、膀胱カテーテル、点滴の四つの管につながれて生きることを余儀なくされた。見舞いにくる妻と話す機会は、気管の外部を切除して挿入されたカニューレと呼ばれる金属製の小さな道具を清掃するためにはずされるほんの数十秒だけ。その貴重な時間さえ、彼は妻と話そうとはしなかった。そうした生活が三年二ヶ月続いてから夫は死亡した。この経験から妻は考える。人はそのときが来たらどう変わるかわからないと*2。

アフリカ牧畜民の死生観

  近年になって日本の人類学者たちは発展途上国で、昔の日本人のような生活を送る素朴な民族のフィールド研究をしている。人類学者・河合香吏は十四年に渡ってアフリカの牧畜民チャムス族の研究をした。私はこの牧畜民の医療を、同じアフリカ大陸の農耕民であるグシイ族と比較して、両者が大きく異なることを発見した。今では近代的な医療機関もあるが、牧畜民であるチャムスは病気への責任感が強く、自分達が大切に守ってきた自家治療を大切にする。皆で助け合うので医療にお金がかかることはない。反対に農耕民であるグシイは病気を恥として話さないで、ひそかに呪術師を訪れたりして治療してもらう。

  何代にも渡って家畜の病と死の看取りをしているチャムスは、死についても独自の概念をもっている。病苦は自分の過ちからであるが死は運命である。そのため、病気と死は切り離して考える。だから死を想像しながら病気に対応することはない。病気は生きている身体に起こる現象であるが、死は人間の存在に関わる問題である。だから死をおそれて、もがき悲しむことはない。死は異なった次元の世界としてとらえるのである。

おわりに

  日本人は古来、自然とともに生き、そして死んでいくことにそれほど抵抗がなかった。そうした死生観は、野山で鳥や獣をとり、牛や馬の助けを借りて農業を営み、にわとりや豚を飼育するなど、生き物と密着する生活の中で養われた死生観であろう。生活全体が西洋化していく現在、人々は自然から遠い都会でコンクリートのマンションと雑踏の中で生活するようになった。豊かな経済によって人生五十年から九十年いや百年へと延長している。自然への畏敬を基盤とする死生観を失った日本人は、ひたすら死を恐れ科学者である医者に生命をまかせるようになった。自然とともに生きるという日本人古来の死生観は、数万年の歴史がある*3。仏教が渡来する前からに日本の宗教の中にあった死生観は、「坊主と医者」の影響によって忘れ去られてしまったのであろうか。

 注
 1.モーリス・メーテルリンク、1913.山崎剛訳:死後の存続、めるくまーる、2004
 2. 樋口恵子:家族のケア 家族へのケア『ケアその思想と実践4:家族のケア・家族へのケア』岩波書店、2008、1-36
 3.久間圭子:医療の比較文化論:その原理と論理を求めて、世界思想社、2004

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