第2回 英語公用語化について

第2回 英語公用語化について

はじめに

   「英語公用語化論を再考するー言語政策の国家的議論を」 飯野公一

  この論考の発表は、楽天やユニクロという大企業が英語公用化を進めることを明らかにした2010年夏以降、2011年3月に東日本を襲った大災害以前と思われる。未曾有の震災が日本人と在留外国人、そして世界中の人々に与えた心理的な打撃は計り知れない。恐怖の中、多くの外国人が日本を去っていった。一方、震災から復興するため「がんばろう日本」を合言葉に、国民は一致団結して努力してきた。懸命にがんばる日本人の姿は、自然への畏敬と感謝の念を持って生きた祖先の精神的遺伝子を思わせる。
  英語公用化における「開国派」と「攘夷派」の対立においても、この震災による心理的な変化は否定できない。これまでも英語公用語に関して目立った議論はなく、むしろグローバル化に浮かれることを戒めるような発言や著書さえ目につく。しかし、グローバル化を阻止できない今、英語教育も含めた英語公用語の議論は避けて通れない。震災のような一致団結ではないが、国民ひとり一人が真剣に考えなければいけない課題である。英語公用語は、文字がなかった古代日本が受け入れた漢字・漢学に伴う中国の思想や文化とは事情が異なるからだ。以下、英語公用語における飯野の論考を要約する。
 

社会の中での「ことば」の役割

 母言語は誕生してから家族と社会の中で、生涯に渡って次第に修得していくスキルであり、人々がアイデンティティの拠りどころとしている象徴的な証である。それ故、社会が特定の言語に与える役割は重要だ。しかし、ある言語が与えられる役割は、時代と社会情勢によって大きく異なる。今も文字をもたない言語や、複数の民族が複数の言語をもつ国家では、言語が民族意識と結合し、深刻な紛争さえもたらしている。
日本では、まだ表記文字がなかった時代に、中央国家の指導によって中国文化と漢字を取り入れた。爾来1500年の歴史の中で、豊かな日本文化と日本語を発展させてきた。では今何故、英語公用語が問題になっているのか。それは、国内における外国人の増加、世界経済における相互依存や政治問題に対応するための言語である英語の必要性からだ。
 

共通語としての英語

 英語を共通語とするいくつかの形態がある。1.英語のみ(例:英国・米国・オーストラリア)2.第二言語とする(例:インド、シンガポール)3.主要な外国語とする(例:中国・韓国・日本)。中国とインドにおける英語の汎用性は、事実上の共通語の役割を担っている。主な言語政策として、会議、大学の授業、交通や場所の案内に使用する言語の選択がある。日本では、2008年に「留学生30万人計画」を作成し「国際化拠点整備事業」30プログラムの取り組み、首都圏の大学を中心に、確実な成果を挙げている。
 

「使い分け」実現のための議論を

 経済発展を続けるアジア諸国は植民地の歴史があり、自国語を発展できなかった。そのため英語は事実上の標準語となり、社会資源の役割を担っている。一方、欧米の植民地化をさけた日本は、アジア諸国と異なり、長い歴史を誇る豊かな日本の有形・無形文化がある。外国生活が長い人は誰でも気がつくように、言葉としての英語はもちろん、英米の思想や文化は、日本語や日本の伝統文化とは異質である。それ故、アジア諸国のエリート層と比較して日本人の英語力は極めて低いが、英語を公用語とすることへの反発は強い。ここで飯野は「一番の問題は日本人の意識にあるのかもしれない」として、日本語と英語(他の言語も)をうまく使い分けができる人、それに対応した教育のあり方が求められていると結論し、言語政策の議論もこの路線上にあるのではないかと指摘している。
 

考 察

 第2次世界大戦の終局において米軍は日本の主要都市を爆撃した。しかし、京都と奈良がそうした破壊をまぬがれたのは、学者グループの助言に従った米軍部の英断であった。今や、日本の有形・無形の文化は世界遺産として、多くの外国人を魅了している。この陰には、英語教育が一向に改善しなかった日本と反対に、外国人の日本語の上達、日本文化への理解が深まった現象が見られる。高等教育において言語の選択肢が英語しかないアジア諸国では、植民地政策や貧困の中で、自国語による高度教育を発達できなかった悲劇を見るような気がする。飯野が提唱する「使い分け」については、今後のセミナーで考察したい。

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