第1回 「日本の英語教育はなぜだめ」なのか

第1回 「日本の英語教育はなぜだめ」なのか

英語だけが外国語ではないので、同じ批判が他の外国語にもあてはまるだろう。英語教育が批判されるのは、義務教育の中で英語だけが必須科目だからだ。英語教育の批判は数知れないほどあるが、比較的近年に発表された論文がいくつか目にとまった。第一回のセミナーでは、これらの論文が指摘する問題点を探ってみよう。

「日本の英語教育は何故だめか?」 浜口 登

論説者は米国に7年間留学し、その後も研究のため渡米し長期の滞在をした経済学者である。英語を専門とする英語学者と違って現実主義のプラグマティスト。また、ネィティヴ外国人による批判でない点も抵抗感が少ない。以下、主な問題点を要約してみた。

英語教育の問題点

  • 英語のできない英語の教師:日本で中・高・大学で英語を教えながら、英語圏に行っても、食事や買い物さえ満足にできない人が多い。読む・書く・聞く・話す、の4能力のうちで、満足にできるのは「読む」ことくらいなので、ネィティヴ・スピーカー(NS)に対応できない。
  • 英文和訳・和文英訳の弊害:和訳は英語理解の能力というより、日本語の能力ではないか。単純に和訳しても日本語にはならない。下手な和訳は、数学や自然科学ならまだしも、経済学など原書を読まないとわからない場合が多々ある。
  • サウンドとしての英語:日本の英語教育は、英語を文字列として視覚で捉えることから始める。英語は音声で捉え、聴覚的に捉えることだ。世界で読み書きのできない文妄は何億人もいるが、聞く・話すことで不自由はしない。
  • 文法偏重:英語の文法を数学の定理のようなルールとして扱っている。
  • 英文の分解と組み立て:単語・熟語を丸暗記するのは、分解して組み立てる方法の英語教育なのか。単語・熟語は文脈のなかで理解できるものである。「音読」がミソである。
  • カタカナ語問題:ピッタリする日本語がないならカタカナ表記が無難である。しかし、意味が変わってしまう和製英語の氾濫には気をつけてほしい。カタカナ語は日本語の深刻な問題である同音異議語を解決する有効な手段である。

問題の背景

上に述べた問題点の背景についての見解も述べている。

  • 「役に立つ英語」と「教養のための英語」:両者は相容れないと考える人は「英語を学ぶ目的は社会に出て、英語が役に立つようにすることではない。英語の背景にある英語文化を学ぶことが目的だ」と主張する。これに対する反論は、「役に立たない英語」を学んで「教養」が身につくはずはない。そのような英語を学んでどうして英語文化を理解できるだろうか?
  • 非効率的な日本の英語教育:日本の英語教育は明らかに非効率的である。学習に費やされた時間、費用、労力に比べ、生徒の英語能力の向上があまりにも小さい。
  • 英語教育と日本人のアイデンティティ:英語教育の目的は英語文化を理解するためであるため、英語教育には「洗脳作用」があるかもしれない。しかし、「理解」することと「同意」することは全く別だ。文化も競争の時代、人々にアピールする文化は生き残り、そうでない文化は自然淘汰される。今日の文化は国際競争のなかで鍛えられ、より強固になっていく。今や日本はもっと積極的に日本文化を世界に紹介すべきである。

コメント

この論説が発表されてからすでに10年以上経過していると思われるが、問題点は依然として改善が見られない。経済的な不効率を指摘したのは、教育費についてあまり議論しない日本の事情から見れば新鮮である。語学教育の本道は学校教育であるのに、一向に改善されない。そこへ参入した産業が民間人による無数の英語教室や塾である。それ故、経済的不効率は、学校の教育費だけではなく、国民が熟や英語教室に支払った多額の費用と、一人ひとりが費やした10年の月日があることを忘れてはいけない。これら民間産業の変貌は、学校現場における英語教育と深く関連していることに注目したい。今後のセミナーで論考していく予定である。[KK.HISAMA 2014.7.20]

 

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