第5回 家で逝きたい人の心理・前篇

第5回 家で逝きたい人の心理・前篇

はしがき

 死をとりまく事情は(ひと)様々(さまざま)であろう。事故や暴力による突然の死、病気の終りとしての死、天寿を全うする自然死など死亡の年齢や時代・場所などが関連する。圧倒的に老年者の死多いが、生れる前、出産時、乳幼児、学童、思春期など全ての年齢にわたる。もし死ぬ場所が選択できるなら、多くの人は家族や親しい人たちに見守られ、家で死にたいと願うであろう。人々の願いとは反対に今は、病院で、老人施設で、そして、ホスピスでという時代になった。
こうした時代的な変化が起こった背景は複雑であるが、要因は戦後民主主義と経済的先進国となったことであろう。戦後は生活水準の向上、平和、保健・医療の進歩などによって日本人の平均寿命は急速に伸び、男女とも世界最長となった。日本人が到達した長寿社会における負の現象は、自分への暴力とされる自殺の増加である。自殺においても日本は世界一であり、この傾向は衰える気配がない。他の先進国のように老年者だけではなく、若年者や中年者が自殺する。

 勝戦国のGHQが指導した一大改革は、憲法によって家制度の崩壊を目指し、根底にあった民族的な宗教を否定したことである*1-2。このことは逝く人の心理から言えば深刻な問題である。なぜなら宗教は人々の日常生活に深く根付き世界観を形成する。社会の伝統はコンピュータのメモリーと違って容易に払拭することはできない。激増する心の問題と死の不安は、民族のアイデンティティを失った多くの日本人の姿である。今、日本人の最大の課題は、多くの国民が安心して平和な死を迎えられることであろう。

 

家で死ねる七つの条件

 
 論文「家で死ぬ条件」の著者は日本の訪問看護を先取りした看護師たちによるグループの一人で、一九七八年から訪問看護・在宅ケアに従事している宮崎和加子である。宮崎は、普通なら病院で治療されながら亡くなる人が家で死ねる七つの条件について論じている。
◎必須条件(3):本人の意思、覚悟、医者
〇十分条件(2):日常生活を支える人(家族・ヘルパーなど)、訪問看護師
△場合による条件(2):友人・知人・宗教家など、ケアマネージャー。
 以上七つの条件を満たす必要があるのは、癌などの重病があり在宅死が最も困難なケースである。その場合、医者の役割は大きく二つあり、一つは終末期の苦痛と症状に対応すること、もう一つは死亡の確認である。医者は基本的に次の条件を満たすことが求められる:二四時間対応、必要時に往診、麻薬などの使用知識、良心的で必要な医療、チームプレイ。また、病気からくる呼吸困難、腹水、倦怠感、食欲欠如などの苦痛を安楽にする対応が必要となる。これら医者の役割は医者の協力を得て看護師や家族が行うことができる。生活の工夫により維持できる慢性病や最期を迎える老年者の場合は、医者より本人の意思と死の覚悟が重要となる。
 

本人の意志

 英語でよく聞く言葉は “There is a will, there is a way” である。日本語では意志が強いことについて「石の上にも三年」という。意志は「理性による思慮・選択を決心して実行すること」であり、知識や感情と独立するとされる。家で逝くためには、本人の意志が家族の気持を動かして同意されること、環境を整えるための経済的基盤も必要であり、準備には長い期間が必要かもしれない。そうした事情を考慮しながら、実現可能な確固とした意志をつらぬく原点は本人の死生観である。
 

死に向き合う覚悟

 ターミナル・ケアは、繰りかえすことのできないケアである。死に向き合うこの期間は「豊かに生きる」ためにあることを、関係者全員が「覚悟」しなければならない。関係者とは、本人と家族、支援する専門職や地域の人々も含まれる。「覚悟」するための死生観は、死は誰にでもやってくる自然なできごとであり、恐るべきものではないということ。死に背を向け、先送りして忘れようとするのではなく、真正面から向き合い、その時を迎えることである。昔の人は「みとり三つき」と言われたように、家で三ヶ月のターミナルケアを行った。今では半年ほどのターミナル期間が普通である。アメリカでは、死が近い子どもたちがデズニーランドへ招待されるプログラムがある。白血病を患った知人の高校生は、両親と一緒にイリノイ州からハワイへ行って最後の人生をおくった。
 

家で死ぬことへのバリアを乗り越えるために

 
 戦後は健康保険の導入などによって在宅死と病院死の割合が逆転した。病院死が普通になり、それが家族にとっても本人にとっても最良であると考える人が少なくない。こうした世間の常識と違うために、本人が在宅死を主張できない場合もある。また、本人の意思を受け入れて在宅死の条件を整えてから、ケアする人々の間に価値観のずれがあれば意見が分かれる。一度は在宅死を選択しても、身体症状だけでなく死への不安が大きくなるかもしれない。現実的な問題として死後の処置や必要な書類、葬儀や埋葬などについても考えないといけない。重要なことは、本人とケアする人たちが、共通の死生観を分かち合い理解することである。
 死生観において、身内の死を経験した人は全く経験のない人とは異なるだろうし、年齢による違いもあるだろう。一般の人たちと違い、多くの看取りを経験した医者や看護師は、独自の死生観をもっている。多くの在宅死に関わった看護師・宮崎は「人間、誰でもいつ死ぬかわからないという意味で平等」であり、違いは「残り時間の多い少ない」なので、その時間をいかに自分なりに生きるかが大切である。重要なことは死を受け入れ、そのときに向かって自己実現していくことであるという。宮崎が関わった事例は末期癌で入院中の女性であった。最後を看取った家族の話では、その方は痛みもなくいい気持で過し、こんないい人生はないんじゃないかと言っていたし、そばにいた子どもが、気がつかないうちにスッと息を引き取ったほどであった。

 死が目前にせまって始めて死に向き合う人も少なくない。限られた時間でそういう人をどう応援するのか。重要である死生観や死をめぐる心理については後編で述べる。

1.阿倍真人:何のための遺留制度か?:戦後民法改正に注目して『ケアその思想と実践4:家族のケア・家族へのケア』岩波書店、2008、217-235
2.林 道義:家族の復権、中公新書、2002

3.宮崎和加子:家で死ぬ条件、『ケアその思想と実践4:家族のケア・家族へのケア』岩波書店、2008、199-215

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