第7回 随想文学の古典にみる男女の情愛:枕草子(その3)

第7回 随想文学の古典にみる男女の情愛:枕草子(その3)

 

 はじめに

 父道隆の死(995.4.)、やがて政治の実権はライバルの道長へ。「長徳の変(996.1)」に巻き込まれた兄・伊周と弟・隆家の流罪、その直後に中宮の落飾(996.5)、母・貴子(きし)の死(996.10)と没落期は急速に悪化した。落飾は出家を意味するので、ひとり二人と女御が入内、やがて道長の娘・彰子(12歳)が女御に(999.11)、やがて中宮に(1000.2)・・・定子は皇后となり、二后並立が強行された。こうした緊迫した時代に、一条天皇と中宮定子の変わらぬ愛を描くことはますます困難となった。それでも定子と一条天皇の変わらぬ情愛を描き続ける清少納言の技は? それは天皇のお使いとして定子皇后を訪れる高級貴族の男性たち、もう一つは宮廷で起った意外な出来事の中でご一緒の天皇と皇后を描くことだった。今回は前回に続いて後宮へやってくるもう一人の男性を中心とする章段を紹介する。
 

藤原行成の登場

 
 前回は栄華期から没落期の初期まで後宮にやってきた藤原斎信について述べた。中宮と清少納言、女房たちのあこがれだった斎信は、喪服中の中宮に天皇のお言葉を伝えるためにやってきた。「七九段:返る年の二月二十余日・・・に」では、雅やかな斎信について詳細に描かれている。やがて斎信が宰相に昇進、代わって後宮を訪れたのは藤原行成であった。行成も有能な高級貴族で四納言の一人であり能書家であったが性格は対照的で、斎信が外交的で人気者であったのに対して、行成は地道で忠実な臣下であった。
 

第一三〇段:頭弁(とうのべん)の、職(しき)にまゐりたまひて・・・

 行成と清少納言の関係は親密で、二人で交わした歌は百人一首にある。この和歌は中国の故事に、夜半に閉められた関所の門を鶏の鳴く音で開かれた話にヒントを得ている。行成は世を通して語り合いたいのに鶏の声を聞いたといって帰ろうとしたとき、清少納言が詠んだ有名な歌である。
「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」
この歌の後に交わされた二人のやりとりはユーモアに満ちて楽しい。その内容は殿上人や中宮にも公開され人気をはくした。中宮は納言から三大能書家である行成の手紙をこっそりもらってお喜び。清少納言の元へは、ひそかに心を寄せていたという経房の中将がやってきて、行成と交わした歌の殊勲をたたえるのだった・・・
 

第四七段:職の御曹司の西面の立蔀(たてじとみ)のもとにて・・・

他の章段でも一般的な男女の情愛を多数述べているが、この章段では行成を特定して男女の情愛を描いているところが興味深い。
当時は男性に会うとき女性は扇で顔を隠す習慣があり、清少納言も行成に顔を見せることはなかった。清少納言は、古今和歌集や漢詩に通じている。二人の機智にあふれる言葉を楽しむ行成は、どんな顔立ちなのかひどく興味があったようだ。
 
「まろは、目はたたざまにつき、眉は額ざまに生ひあがり、鼻は横ざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、頤の下、頸清げに、声にくからざらむ人のみなむ思はしかるべき。とは言いながら、なお顔いとにくげならむ人は心憂し」[訳・私は目は縦むき、眉毛は額に生えあがり、鼻は横向きでも、口つきがかわいく、あごの下と首がきれいで声がよいと好きになる。でも顔はにくらしいない人がよい]
 
行成のくどき文句とされ、自分が見える部分をほめて、扇でかくされた部分はどんなでもよい、あまり醜くないかぎりはね、という所。それでも顔を見せない清少納言の所へ頻繁にやってきて、時間をかまわず取次ぎを頼んだので喧嘩になり、話もしない時期があった。この章段は枕草子を過小評価する人の間では、自己顕示とか興味本位ではないかという考え方もある。しかし、著書の大義から考えると、実直で最も信頼できる臣下としての行成を描くことで、清少納言は没落していく関白家と定子に寄添う一条天皇のお姿を伝えたかったのであろう。事実、久しぶりだったこの時の関係が第一皇子誕生に至っている。

一度は口も利かない間柄だった行成と清少納言の関係も親密になる契機となった。その理由は、早朝ご一緒のお二人の姿に驚いた清少納言が、目覚めたばかりの素顔で現れた所を、近くにいた行成に見られてしまったからである。後宮の最高の女房として一線を超えなかったが、二人の親密な関係は王朝時代の男女の情愛であり、具体的には他の章段で見事に描かれている。[2014.3.22]

<参考文献>
新編日本古典文学全集18・枕草子:校注・訳・松尾聡 永井和子、小学館、1997
赤間恵都子:歴史読み枕草子・清少納言の挑戦状、三省堂、2013

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