読書コーナー(平成21年度)

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第6回 なぜ精神科医は「無力」か? 「いらない」か?

・ 医者が「心の病」に無力なワケ:船瀬俊介他、三五館、2009,2
・ 精神科医はいらない:下田晴美、角川書店、2001.12
 
  精神科医に対する不信と疑惑は医療制度が異なる国境を超えて普遍的な現象のようだ。その背景にあるのは「精神病は治らない」という通念と、「精神病は遺伝するので一族の恥」とされるからではないか。今回は二一世紀になっても不信と疑惑は衰えを見せない精神科医不信について考察したい。
作家である下田は自分の発病と長い治療、その過程で知り合った他の患者との交流に基づいて、精神科医をきびしく批判している。中年になって発病した下田のうつ病、向精神剤によって症状はマネジメントできるが完治ではない。薬の効果は個人差があり慢性疾患のため効果が薄らぐ。多くの精神科医は薬の知識が貧しく、数百人の患者を診るため、薬漬けにされ生命の危険さえ経験する。こうした患者側からの洞察は貴重な記録である。一般人はもちろん医療関係者、特に医療政策を担う政治家や役人が知ってほしい情報が豊かである。
  「精神科医はいらない」最良の例は、数百万にも上ると思われる若人や高齢者に蔓延する「ひきこもり」である。ひきこもりは、端的にいえば対人関係をふくめ社会体制に適応が困難な状態である。極々少数の人は精神疾患前兆の可能性を否定できないが、九九.九パーセントは精神病ではない。それなのにマスコミに乗った精神科医が出場して、カウンセリングや精神科への受診をすすめる。一度こうした精神科ルートに乗った悲劇は、下田が述べる精神科患者たちの経験に生々しく描かれている。「治らない精神病」により、時には二桁もの年数を、精神科医によって薬漬けにされ、囲いこまれ、人間破壊が起っている。
『医者が「心の病」に無力なワケ』は、長期にわたる薬物投与の害や精神病院の囲い込みを指摘し、環境や栄養の改善による「心の病」の予防と治療に関する著書である。四人の専門家(環境問題、精神科の人権侵害、心理栄養、予防医学)が、生活者の視点から論じている。この著書の特徴は世界の科学者たちが採択したシシリー宣言により「心の病はクスリで治せない」というスタンスである。確かに適応障害のような「心の病」にはクスリは必要ないのは納得がいく。「心の病」の要因をクスリの害に加え、食品、化学物質、電磁波、建築物、精神ストレスの五つを挙げている。
  予防と治療にはこれら五つの「環境ドラッグ」を避け、医者に行く前に自然食にきりかえ、他の要因をチェックする必要がある。また、犯罪の引き金となる「キレる」原因はアドレナリンの過剰な作用である。アドレナリンと糖分の高い飲料(例:コカコーラ)との関係も科学的に論じている。電磁波は、シューマン共振とよばれる地球固有の波動と人間の生命リズムの調和を乱すという。「心の病」を治すのは精神科医ではなく、生物体である人間の根源的な理解が必要であることを示唆している。[2010.1.K.K. HISMA]

第5回 葉隠の道しるべ

  ・分類・注釈:葉隠の真髄、栗原荒野編著、栗原耕吾監修、青土社、1935(1996)

 ・葉隠(上・中・下)、和辻哲郎・古川哲史校訂、岩波文庫、19402007

平成21年10月25日、葉隠の口述者山本常朝(じょうちょう)生誕350年記念交流会が佐賀市内のホールで盛大に行われた。葉隠茶会、和太鼓「葉隠」、講演やパネルディスカッションに加えて葉隠を語る喜劇も登場した。今回紹介する著書は葉隠研究会が推薦している学術書であるが他に多数の葉隠の書があ、英訳やイタリア語訳もある。

はじめに
 葉隠の成立や内容に深く関係する四哲人は、口述者・山本常朝(じょうちょう)、筆録者・田代陣基(つらもと)、常朝が教えを受けた石田(いっ)(てい)、常朝に深い影響を与えた湛然(たんねん)和尚(おしょう)である。祖父の代から鍋島藩主に仕えた家に生まれた常朝は九歳のとき光茂(二代佐賀藩主)の小僧となった。後に和歌をたしなむ光茂の宿望であった「古今伝授」を得るため京都に滞在していたが、急きょ京都から佐賀へ帰り、光茂の死の直前に枕頭に届けたという感動的な場面がある。「お家を一人で荷なう」心意気で光茂に仕え、光茂の死に当たり四ニ歳の常朝は殉死を望むが、すでに禁止されていたので出家し、佐賀城下一〇キロの黒土原(くろつちばる)の庵室で執筆活動をした。若い浪人武士・田代陣基が常朝を慕い尋ねてきたのは一〇年後のことだった。
 
葉隠の構成と内容
 葉隠について「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一句だけを知る人が多い。確かに武士は常に死に向かい合うが、葉隠を読んでみると武士そして日本人が常に死を覚悟して力強く生きる道を教えていることがわかる。
 葉隠は全十一巻一三四〇項で構成され、内容は歴史、哲学、倫理、文化、教養、史跡、伝説、実話、逸事、和歌など多岐に渡る。葉隠の研究者たちは、原文を読むのが一番とし、定本は栗原荒野の昭和十年の著『分類注釈・葉隠の神髄』と同著者による『校注葉隠』がある。前著は全巻一三四〇節から七四一節を掲載している。栗原は、解説並に注釈に誤なきを期するため、元旦に葉隠ゆかりの神社や墓他に参拝し「葉隠の解説を誤らぬように、真剣真実の心を持たせて下さい」と祈願したという。常朝の墓に詣でた時は、もう、とっぷりと日は暮れていた。薄暗い墓地に跪いて墓前に線香をたて、「墓石に両手を押し当てて祈る目には涙がにじみ出た」と述べている。
葉隠はその精神に呼応した無数の哲人たちによって受け継がれ今日に至り、本物の武士によって書かれた唯一の書として国際的に評価されている。全巻をひもときテーマを選択して読むと興味深い事柄が多い。読者は少なくとも有名な「四誓願」から自己の生き方を考えることを薦める。初心者は葉隠研究会が無料で配布している小冊子からはじめてもよいのではないか。常朝は『葉隠』の他、娘お竹の婿のために奉公の心得を説く『愚見集』、領主としての心得や修行に関する『書置』、親子三代の『年譜』に加え、文学書『寿量庵中座の日記』、多数の和歌を詠んだ『山本常朝家集』などを残している。[K.K.Hisama 2001.12]

第4回 「遠野物語」を語る二冊

 ・遠野物語の世界: 石井正巳・文、 浦田穂一・写真、川出書房新社、2000.8

 ・『遠野物語』を歩く: 菊池照男・文、富田文雄・写真、講談社、1992.2

  「遠野物語」とは、日本の民俗学の祖とされる柳田國男が明治四十三年に自費出版した本のタイトルである。当時は一部の研究者に注目されただけで、再版されたのは二十五年後のことであった。更に大衆から注目されるようになったのは、昭和三十年代の民俗学ブームによるもので、出版から実に半世紀が経っていた。初版は柳田が遠野出身の佐々木喜善からの聞書きをもとにした物語を編集したもので、一一九話の伝承を収録している。
  『遠野物語』が高い評価を得た理由は、無作為に昔話を集めたのではなく、世間話、伝説、民間信仰を中心として、村人たちの日頃の喜び、悲しみに直結するものだけを精選しているからと考えられる。昔話と伝説の違いは、伝説は山や森、川や淵のように彼らの山村の特徴に根づいており、村人が真実と信じて自慢できる奇跡であった。一方、昔話は時代や場所に関係なく、一定の筋書きによって展開される楽しい作り話である。遠野物語で最も多い世間話や噂話は、村の事件・ニュースであり自分たちの村だけの話である。遠野は盆地のため住民の移動がほとんどなかったので、噂話の対象になっている人間は、何代もまえからの系譜や逸話が語り伝えられたのである。
  今回レヴゥーした二冊の書は、遠野の美しい写真と関連する文章によって構成されている。読書が苦手な現代派の人たちに、日本独自の文化に興味をもっていただきたいのだろう。石井の著書では、遠野物語の世界を山の世界、川の世界、星の世界、町の世界、として、それぞれ有名な物語を写真と文章によって進めていく。一方、菊地はよく知られた関連挿話「河童と淵神伝説」「ザシキワラシの漂白」「山に呼ばれた女たち」などを精選して、タイトルから入っている。どちらも見事な写真で読者を引きつけずにはおかない。
  どちらの著者も遠野物語の熱心な研究者であり、それぞれ独自な貢献をしている。石井は「遠野と民俗学者たち」という部分で、柳田と佐々木の他に伊能嘉短(いのう・かのり)鈴木吉十郎と鈴木重雄、折口信夫、山下久男を紹介しているが、興味深い研究者はロシヤ生れで、大正四年に日本に留学したニコライ・ネフスキーである。さまざまな日本研究をした中で、遠野を訪れ佐々木や折口とも親しく交流している。日本で一四年間滞在して帰国するが、八年後(一九三七)に逮捕され、それから八年後(一九四五)に死亡した。遠野出身で豪農の一家に生れた佐々木も、悲劇的な最後を迎えた。
  遠野物語が伝える喜びと悲しみは、遠い昔の主人公たちだけでなく、研究者たちにも共通する人生なのだろうか。

  

  

第3回 「猫と人間」「猫と猫」の関係から学ぶ死生観:後編

 

・やっぱり猫はエライ:今井美沙子、樹花舎、2004

・猫はエライ:今井美沙子、樹花舎、1994

 

主婦であり作家である今井は自宅で書き物をするかたわら四六時中猫を可愛いがり、世話しながら観察している。家族は毎朝勤めにでる夫と小学生の息子、歴代の猫をわが子と呼ぶ。家では将棋クラブの子どもたちが集まり近所つきあいも多い。猫好きな男性作家たちと一線を画す今井は、猫を可愛がるだけでなく食事と排泄物の世話はもちろん病気から看取りまで、出産を除いて母親の役割を全て行う。家の外と内で常に多くの「のら猫」を世話しているので、「猫と人間」の関係だけでなく「猫と猫」の関係を細やかに描いている点がユニークである。後編では猫と猫の関係に焦点を当てる。

今井によると本当に猫好きな人は、のら猫や迷子猫を家で飼う人たちだという。ベランダにのら猫のための食卓を作ったら、猫同士で調整して異なる時間に現れて食べる。これらの猫を「外猫」と呼ぶ。家で飼う内猫のほとんどは外猫が家の中に住むようになったケースである。内猫もときどき出ていって帰ってこなくなるので、入れ替わりがあり普通は三匹くらい飼っている。のら猫から家猫になる過程が続いていくので猫の命の流れを感じる。それ故今井が述べる「猫と猫」の関係は同じ猫ではない。

「猫と猫」の関係はキヨという子猫から始まる。外食を終えた帰り道、やせこけて目と鼻もわからないほど汚れた生後二週間くらいの猫と会った。人に見られるとはずかしいので、ハンカチに包んで家に帰り、顔を洗ってやったらとても可愛いい。子猫はよく下痢をして夜も大変、飼っていた一匹のG猫は腎臓病だった。しかし、子猫と会ってから病気は「薄紙をはがすように」よくなったという。Gはじゃれつく子猫に目をほそめてじっとしていた。

今飼っている三匹の一匹は八キロもある大きな猫で威厳がある大ボス。テラスの食卓にやってきた猫だった。真冬だったので大ボスは家の中に入りたい様子だった。でもその頃はKという小さな雌猫を飼っていたので、台所に箱を用意して夜だけ休んでもらった。大ボスは雌の子猫Tをつれていた。発情期になると大ボスが大暴れするので去勢手術をしたら、おとなしくなり外出しなくなった。

その体格と気質で大ボスは他二匹の猫のリーダーとなった。三匹は行動を共にして、今井を出迎えるときは「おかえり、おかえり」と合唱する。ボスに従う二匹はCD、どちらものら猫であるが、大ボスはCDより少し前にやってきた。先着猫として大ボスはCDに対して偉そうにしている。やさしいDがしつっこく寄って行くとうれしそうに目を細めていたが、それがくどくなると「乱闘」が始まった。三匹の猫が仲良く座る姿はとても可愛いい。

 おわりに:著書の後半は三匹の猫を介護する話。獣医の治療は人間と同様であり、長く苦しい介護が続く。「猫と猫」の自然な生き方や関係は人間によってすっかり変えられてしまったのだ。本書からの貴重な学びは、のら猫を通して見る命の流れ、生きとし生ける万物の命の大河である。人間は死を恐れそうした命の流れを阻止しようと必至で闘っているだけなのかもしれない。[K.K.HISAMA,2009.6]

 

第2回 「猫と人間」「猫と猫」の関係から学ぶ死生観:前編

 ・ 作家の猫: コロナブックス編集部、平凡社、2007.12  

  前編では「猫と人間」の関係について考察する。執筆は孤独な作業であり、最適な時間は皆が寝静まってから。そんな作家にとって猫は最良の心の友であり続けるようだ。『作家と猫』では、夏目漱石が語る知的な猫(名前はない)に始まって、三島由紀夫、開高健、外国の作家ではヘミングウエィなど、二八人の「人間と猫」の関係における逸話を述べている。彼らの中で最大数の猫を飼った作家は大仏次郎の五百匹であるが、他の作家たちも多数の猫を飼っていた。猫は最長で二十年しか生きないので、生涯に渡り何世代もの猫と生活している人が多い。
  猫の可愛らしい姿は、カレンダーの写真など毎日のように目にふれるが芸術に高めた作品も多い。竹久夢路の女性と猫の絵は繊細な幻想世界のように美しい。優美な姿もさることながら、猫と人間の関係を分析する逸話は興味深い。猫の特徴は何よりも妥協しない自由の精神とそこから生れる気品と誇り高さであろう。作家たちは猫との生活から深遠なる死生観を学ぶ。『作家と猫』の中から私を捉えた逸話を二、三紹介する。
南方熊楠と猫チョボ六:南方は慶応三年(一八六七)に生れ、十九歳から十四年間欧米で学んだ植物学の研究者である。生涯無位無冠の研究者が最初の猫と出合ったのはアメリカ、ミシガン州のアナバ(Ann Arbor?)市の郊外にある森林の中であった。採集中に大吹雪になり、吹雪の中を走っていたら生後一ヶ月にならない子猫が道に迷い後をついてくる。日本で妹が亡くなったという訃報に接した数日後のこと、妹の生まれ変わりかと思い上着のポケットに入れて走った。それから欧米でも日本でも常に猫を飼った。南方にとって人間と猫は全く対等でどちらも最大の自由を謳歌した。自然を畏敬し、猫のように自由に生きた南方は、人間と動物は同じ生き物として共生したのである。
  三島由紀夫と猫殺しの心理:猫をこよなく愛しながらも自殺した悲劇の作家は、三島由紀夫とヘミングウェイである。三島は独身時代、猫を最愛の友とし机の中にはいつも煮干が入っていた。「あの小ざかしいすねた顔つき、きれいな歯並び、冷たい媚び、何ともいへず私は好きです」と随筆に書いている。猫狂いのような猫好きだったが、結婚後は夫人が嫌うので母堂が預かることになった。しかし、数十年経って書かれた『午後の曳航』の中に、十三歳の少年による凄惨な猫殺しの場面がある。妻に猫を追放された三島はどう変化したのであろうか。彼自身の死は何を告げるのであろうか。

ヘミングウェィも猫好きで後半の二十年をすごしたキューバでは猫専用の御殿を建て、五十匹の猫を飼っていた。あるとき、一匹の猫が妻のお気に入りだった猫を殺したとき、ヘミングウェィは即座に銃を持ち出して殺した猫の頭を狙い射殺した。そのまま放置すれば殺し屋になりかねないという制裁行為であったらしい。それは猫への愛の発露であったのか、妻への愛だったのか。その妻は四番目だった。しかし、ヘミングウェィは最初の妻とパリで生活していた頃二人で見た子猫のことを忘れなかった。その妻と別れてから三四年経ったある夜、突然彼女に電話があり、数週間後にヘミングウェィは自殺した。(K.K.HISAMA,2009.5)

 

第1回 変わりゆく夫婦関係を洞察する書二冊:男性と女性作家

  •  漂いながら: 早坂真紀、祥伝社、2008.10
  •  夫というもの: 渡辺淳一、集英社、2004.3

  

  西洋と東洋の社会を熟知するジャーナリスト、グレゴリー・クラークはベストセラー『ユニークな日本人』において、西洋がイデオロギー中心の社会であり、日本は人間関係の社会であるとした。初版から三十年以上が過ぎた今、日本人の人間関係、中でも核家族の中心となる夫婦関係が根底からゆらいでいる。日本人にとって夫婦関係とは何かを女性作家・早坂がフィクションで、男女の性をめぐる作家・渡辺がノンフィクションによって洞察している。
  早坂は軽井沢に住む女性作家で、最新作『漂いながら』は豪華客船に乗る百日間の世界一周の旅である。庶民には手の届かない船旅がどのようなものか興味を抱いて読み始めたら、旅は夫婦関係を中心に展開されていた。主人公は停年に達した妻で、夫と二人で設立した会社は今では五十人の社員を抱えるほどに成長した。船旅は夫の発案である。妻は同意したものの、夫が五年間に渡って不倫したことが心につきささっている。心の中では夫の不倫を強く非難しながら、旅によって自分の気持ちが和らぐのでないかというかすかな希望をもっている。
  船旅はアジアからヨーロッパ、アメリカの東部から西海岸を廻り、世界の主要都市に上陸する観光と船内の食事やイベントで展開されていく。主人公の寿美恵は船内で親しくなった二組の夫婦について述べている。一組は外交官として世界を回った夫と美貌の妻、二人は国際的センスにあふれ羨望の的である。もう一組は老年の医者夫婦。しかし、話しているうちに、どちらの夫婦関係も決しておだやかではない。最後の場面では、外交官夫人は夫を離れてスペインで暮らす母親の元へ行く様子だった。
  数多くの男女の恋を描いてきた渡辺は、ノンフィクションによって性を中心とする夫婦関係を真剣に論ずる。「妻とのセックス」を蜜月時代、中年時代、熟年時代にわけて述べ、それに伴う夫婦の問題を洞察している。一夫一婦制の意味、夫の帰宅恐怖症、ED、マザコン、定年後の夫婦関係や離婚など鋭い洞察から学ぶことが多い。最後に一夫一婦制も入れて、これからの性の関係について提案している。渡部によると、明治時代までは天皇を初め政治家や金持の商人など、妻以外の女性と男性の性関係を許し、子どもを持つことも受け入れていた。日本の男性は今でも妻以外の男女関係を願望するが女性は許せない。こうした男女の性への考え方のギャップを埋めて、夫婦は性にどう向き合うのかは大きな課題である。アメリカの経験から考えると、日本では男も女も、夫婦の性関係を真剣に考えてはいないように思う。夫は仕事に没頭し妻は子ども中心になる。夫婦を中心とする欧米の社会では、絶え間ない相互の努力を必要とするので、離婚は止むを得ぬ事情からと考える。
  日本のしきたりや社会環境は、一夫一婦制の関係に深く影響している。例えば、家事・育児や男女の関係において、男尊女卑の考え方が日本人の深層心理に残っている。家族関係では、親離れのできないマザコン男性や子離れのできない親が多い。夫婦関係を含む人間関係による心の問題は、変わりゆく日本の歴史的・社会的背景を考えないと解決できない複雑な問題である。しかしながら、解決への第一歩は、そうした背景に目を向けながら、夫と妻の双方が自分達の問題として真剣に向き合うことではないか。K.K.HISAMA 2009,3

  

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