第4回:医療の社会保障と経済危機:医療倫理の視点から(序論) 

第4回:医療の社会保障と経済危機:医療倫理の視点から(序論) 

 これまで3回にわたり、高度医療において世界をリードするアメリカの社会事情を述べた。高度医療は、臓器移植に見られるように、莫大な費用に支えられており、医療の社会保障または個人が負担する。今、高度医療は先進国だけではなく発展途上国でも発達している。しかしながら、社会保障が未発達な発展途上国の高度医療は、主として富裕層の医療であり、一般庶民は西洋医療無料であっても伝統医療を選択する人が多い。英・米・仏・独のような西洋先進国においてさえ、高度医療の実践において驚くほどの違いがある。なぜなら、医療は各国の文化や歴史に深く関わっており、経済事情や政策などの影響を受ける社会科学であるからだ。政策が国民の意志を反映するとしたら、そうした違いのベースとなるのは医療倫理か、又はその欠如によるものであろう。

 西洋の思想や倫理を反映して発達した高度医療は、書籍に収録された医療倫理だけでなく、生と死に関する民族の文化や歴史を尊重すべきである。残念ながら、資本主義社会では利益を追求する強力な医療産業が医療倫理をゆがめ、伝統的な死生観はおろそかにされてしまう。例えば、日本の高度医療は、明治時代に始まる西洋医療を発展させた結果、世界のトップレベルに到達した。最近、IPS細胞の研究でノーベル賞受賞者がでたら、政府の関係者はいちはやく医療産業の発展と経済的な利益を考えている。残念ながら、わが国では今日まで漢方の伝統である開業医制を温存しているので、日々の医療実践においてきびしい西洋の医療倫理がおろそかにされるなどの矛盾が多い。

 医療関係者はもちろん、国民のひとり一人が、今こそ、高度医療時代において日本人にふさわしい医療倫理を考え、話し合い、実践するときである。次回からは、これからの高度医療が国民の健康と幸福に真に貢献する鍵となる概念を、倫理的・経済的な視点から幅広く考察したい。

 文献:久間圭子:医療の比較文化論、世界思想社、2003

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