読書コーナー(平成23年度)

読書コーナー(平成23年度)

 特集:仏教をやさしく語る英文書・ニューヨークにおける仏教のガイド:後編

The Buddhist Guide to New York. by Jeff Wilson. St. Martin’s Griffin, 2000. Where to Go, What to Do, and How to Make the Most of the Fantastic Resources to the Tri-State Area.

仏教における宗派

仏教は他の世界宗教のような絶対的な神はいない。ただ仏陀の教えた法がある。鎌倉時代から庶民の間に広まった新仏教諸宗の教祖たちは、庶民に仏法をやさしく説いた。アジアで広まった仏教の特徴は、日本の神道のような土地の宗教における神の概念を取入れている。今回は、著者が述べる5つの宗派の中から、日本人に深く影響している浄土宗と日蓮宗を選択して述べる。

 浄土宗(pure land buddhism):最も庶民的宗教であり、日本だけでなく世界でも最大の信者がいるという。日本では法然から親鸞(浄土真宗)へと受継がれ、無限の光と命へ導く仏・阿弥陀如来を信仰する。人間を全く区別しないので、老若男女、善人も悪人も死後は等しく極楽浄土へ行って仏になれる。著者によると、浄土の心理的な理解は、人間の心の中に啓発された明るい部分であり、それは暗い部分を照らす光である。この光は、心の中にある思いやりや賢さであり、自分だけでなく他人をも助けることができるという。学問や修行よりも信仰(他力本願)が大事で、それは毎日を感謝の気持ちで誠実に生きることである。浄土宗でも道徳や修行を学ぶが、学力がなく学べない人は、崇高な阿弥陀如来の姿を頭に浮かべて、毎日「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけでよい。

浄土宗の神髄については、親鸞の弟子が書いた「歎異抄」にやさしく述べられている。

日蓮宗(Nichiren buddhism:日蓮宗と聞くと手に太鼓をもって、声をあげて「南無妙法蓮華経」を繰り返し唱える人々を想像する。日蓮は「法華経」こそが、仏教のあるべき姿を伝える経典であると教え、他宗を排斥的する過激な人物であった。今では伝統的法華系の宗教だけで13宗56派、法華系新宗教は創価学会や立正佼成会など30ある。「南無無妙法蓮華経」を繰返し唱えることで、自分の中にある仏の輪廻を活性化すると教える。普段は個人の家で念仏を唱えるが、信者が集合すると大声で「南無無妙法蓮華経」を繰返し、相互に助け合うデスカッションをする。創価学会は、巨大な資金を背景に日本のみか世界で急速に広められた。ニューヨークでは、アフリカ系やラテン系の人々の間で信者が多い。

フランスでは、創価学会がキリスト教のような子供の学校で布教を始め、政治問題に発展しているという記事があった。

特集:仏教をやさしく語る英文書・ニューヨークにおける仏教のガイド:前編

The Buddhist Guide to New York. by Jeff Wilson. St. Martin’s Griffin, 2000. Where to Go, What to Do, and How to Make the Most of the Fantastic Resources to the Tri-State Area.

はじめに

昨年の夏、私はニューヨーク市の中心にあるマンハッタンに住んでいた。住居はコロンビア大学で民族学を研究する教授が住むマンションで、6つの大きな本棚に1000冊を超える書籍が並べられていた。そこへ1歳を過ぎて歩きはじめた孫のHがやってきては、書棚から本を抜き出して私のところへ運ぶ・・・気がつくと毎日同じ仏教の本があった。しまいには、Hがその本を自分で読む格好をするので不思議に思い、私もページをめくってみた。今回は、こうして私が偶然に出会った仏教の英文書から、初心者のための本を紹介する。今後、日本から国際社会へ出ようとする人々の参考になるように願っている。

この仏教書かれた理由は、ノーベル賞を受賞し聖人とされるダライラマが、1998年の夏ニューヨークを訪れセントラルパークで講演をしたところ、全米から7000人を超える人々が集まったことである。ニューヨーク市だけでも100を超えるお寺やセンター、黙想の場があり、私の住居からもグループで黙想できる建物が見えた。本書は仏教のスピリチュアルな経験をしたい人のためのガイドブックであるが、初心者のためのわかりやすい仏教解説書でもある。アメリカ人らしい実務書で、内容は仏教全般のエッセンス、主な宗派の違い、佛教の体験ができる場所と経験に役立つ情報が述べられている。今回は、この著書から仏教のエッセンスと日本で主流を占める宗派の特徴を要約するに留めて、場所や方法のガイドは各地で得られる最新の情報を参考にしてもらうことにする。

佛教とは:What is Buddhism?

仏教における最高の原則は輪廻である。すなわち、人間、あるいは虫けらや草木であろうと、すべての命は相互につながっているので始めも終りもない。仏教のコミュニティにおいて、苦しみから救われる四つの重要な原則がある:1.苦しみがあることを認める、2.苦しみの原因を知る、3.苦しみは癒されると宣言する、4.仏による癒しの方法や処方を実践する。実践の方法は宗派による違いが大きいので、各宗派の違いを知ることが重要である。著書では鈴木大拙によってアメリカに普及された禅仏教、日本人に馴染み深い浄土宗や日蓮宗(最大の信者をもつ創価学会の宗派)、他にチベット仏教やTheravadaについて述べている。宗派については先祖代々日本人の心に染み込んでいると思われる浄土宗と、創価学会として世界に広まっている日蓮宗の比較は後編で行う。

巨大地震で傷ついたこころを癒す古典:『万葉集』を語る書:前 編

 万葉びとの歌ごころ:前 登志夫、NHK出版、2006
『万葉集』・響きあうこころの世界:中西進・監修、婦人画報社,1995
新訓万葉集 上・下巻:佐佐木信綱編、岩波書店、1991
 

まえがき

千年に一度とも言われる今回の東北・関東地方を襲った巨大地震(3月11日)を知った時、私の脳裏に浮かんだのは鴨長明の『方丈記』だった。戦乱と災害のうちに王朝時代が去り、平家の興亡を経てやがて鎌倉時代という歴史的な推移の中で生れた文学書である。それ以前は、律令国家への移行という変革期に書かれた日本で最初の文学書『万葉集』であった。20世紀後半に起った情報革命も変革の時代と言える。今回の巨大地震は情報時代の真っ只中で起った壮烈な自然災害である。
こうした変革期に生きた人々のこころを伝える古典は我々の心の傷を癒してくれる。平成23年度最初の読書コーナーでは万葉集を紹介する。最初の2冊は万葉集の解説書で、古代人の「こころ」に追求する。三冊目は万葉集全20巻4500余の収録歌である。

     *  *  *  *

一冊目の著者、前登志夫は万葉時代ゆかりの地である奈良県吉野に生れ、戦後は吉野山中に生活して現代短歌を歌い続ける孤高の詩人、万葉集を語るにふさわしい人である。

「わたしが歌を詠み、わたしなりにことばと人生の経験を深めてゆくにつれて、わたしの内容に応じて『万葉集』はおなじように大きくなってしまう」という前登志夫のことばは、浅学の私にとってもずっしりと重く感じられた。戦時中に少年時代をすごした前登志夫は、日本の古典にふれる機会が豊かだったと思う。男性はみな軍隊へ参加した時代に育ったせいか最初は防人の歌に感動した。今日でも、生れ故郷を離れ遠い土地へおもむく学徒や、家族と別れ単身赴任する人は共感できると思う。

  父母(ちちはは)も花にもがもや草まくら旅は行くともささごて行かむ(v20-4325)
  父母が頭(かしら)かき幸(さ)く撫で在(あ)れて言えし言葉ぜ忘れかねつる(v20-4346)
 

万葉集には相聞歌や挽歌など愛と死の歌が多い。次の歌は非命の死をとげた大津皇子による愛と死の歌である。自裁に臨んだ皇子の歌かどうか異論がある。

 あしひきの山のしづくに妹待つと吾立ち濡れぬ山のしづくに(v2-107)
 ももづたふ般余(いはれ)の池に泣く鴨を今日のみ見てや雲隠(がく)りなむ(v3-416)

これら和歌の詳細な解説はそれぞれの文献を参照してほしい。文字は三冊目の新訓万葉集と同じ書き方で、vは巻、数字は歌の番号である。[K.HISAMA,2011.5]

巨大地震で傷ついたこころを癒す古典:『万葉集』を語る書:後 編

万葉びとの歌ごころ:前 登志夫、NHK出版、2006
『万葉集』・響きあうこころの世界:中西進・監修、婦人画報社,1995
新訓 万葉集 上・下巻:佐佐木信綱編、岩波書店、1991
 
二冊目はそれぞれの歌にふさわしい美しいカラー写真と共に編集されている。監修した中西進は、万葉集は日本人の聖書であるとして、写真とことばによって読者を万葉の世界へといざなう。書全体は、1.愛と死、2.四季のよろこび、3.旅路と望郷、4.うつし世へのまなざし、と四つに分類されている。ページをめくっていると高校時代に暗誦した二首があったので、思わず声をだして詠んだ。
 
 田児(たご)の浦ゆうち出(い)でて見れば 真白にぞ不盡(ふじ)の高嶺に雪はふりける(v3-318)
 春過ぎて夏来たるらし白たえの衣ほしたり天(あめ)の香具山(v1-28)
 
前登志夫が述べているのと同じく、人生の経験を深めた私の歌への思いは深まっていた。これらの歌には単なる四季の描写を超えた神秘性がある。それは、神聖な場としての山や自然への信仰、そして祖先への信仰であろう。雪の白さと衣の白さは、日本人古来の宗教である神道が崇める色である。人々は神聖な山のふもとを山里とし、山へはやたらと踏込まないようにした。アルプスなど世界の巨山に登るのは、自然を克服しようとする西洋人の発想ではないだろうか。千数百年も経った今なお万葉集が古典として生き続ける陰には、日本人が自然を敬う万葉びとの深い信仰心に安らぎを覚えるからであろう。
 
柿本人麻呂・妻への挽歌
秋山のもみちを茂み迷ひぬる妹を求めむ山道(やまぢ)知らずも(v2-208)
もみち葉の散りゆくなへに玉づさの使を見ればあひし日おもゆ(v2-209)
 
流罪の旅路と夫婦の別れ
 あをによし奈良の大路は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり(v15-3728)
 君が行く道の長路(ながて)をくり畳(たた)ね焼き亡ぼさむ天の火もがも(v15-3724)
 

前編と同じく文字は三冊目の新訓万葉集による。vは巻、数字は歌の番号である。[KK.HISAMA.2011.6.5]

巨大地震で傷ついたこころを癒す古典:『方丈記』他:前 編

[現代語訳]方丈記・発心集・歎異抄:三木紀人・訳と解説、学燈社、2006
 
仏教の到来と共に大陸から流入した先進的な政治や文化、それに刺激されて起った古代の政治・文化の大変革期の中で最初の文学書『万葉集』が生れた。『方丈記』はその後に起った戦乱と天災を経て始まった中世という時代の初期に書かれ、日本人のこころを追求する書である。これから三回に渡って、中世初期に生れた文学を収録した三木紀人によるすばらしい現代訳と解説を紹介する。読者は中世という困難な時代に生きた人々のこころを感じとることができるのではないか。
 
I. 方丈記
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
 

あまりにも有名な『方丈記』冒頭の文章である。この一文によって、方丈記を単純に「無常の文学」と捉えてしまう人が多いのは残念である。長明は久寿二年(1155)名家に生れ、輝かしい未来が見えたのに、父の早世により苦難に満ちた人生を歩むことになった。若いときから琵琶に親しみ当時のかっこよい若者、後に音楽家・歌人として一流の座を得たとされる。そんな長明がなぜ五十の声を聞いて遁世者になったのか、伝記によると複雑な人生のドラマがあったようだ。そんな長明を知って『方丈記』を読むと一層興味深いと思う。

『方丈記』では、地震・台風・火事・飢餓まで当時の大災害を述べてから「方丈の日々」、「静けさ」を求めて、そして終章では最期への思いが書かれている。「静けさ」を求めての中では「事を知り、世を知れれば、願わず、和知らず,ただしづかなるを望みとし、憂へなきをたのしみとす」という明言がある。また「三界は心一つなり」(この世界は心の持ち方次第だ)という一句は、外世界を変えようとする西洋人と対比日本人の心情である。『方丈記』は名利を求めて挫折して遁世、山林で仏道の修行を試みた人間の哲学書である。

困難な時代に多くの悩みをかかえながら、ひたむきに生きる長明の姿を伝える『方丈記』は、今も同じような悩みをもつ多くの人々のこころを癒してくれる。このことは京都大学基礎医学の教授で医者・科学者であった藤田尚男が自らの体験から語っている。彼は現代医学で容易に診断できず、全く治療できなかった難病を患ったが、『方丈記』の文章を思いだすなど心を癒すことで回復したという(久間、2001)。[K.HISAMA,2011.7]

文献:久間圭子:医療の比較文化論:その原理と論理を求めて、世界思想社、2001

巨大地震で傷ついたこころを癒す古典:『方丈記』他:中 編

[現代語訳]方丈記・発心集・歎異抄:三木紀人・訳と解説、学燈社、2006

長明が遁世にいたったのは世俗的人間関係のわずらわしさからの失踪であり、道心を発して仏道にはいるためではなかった。方丈の草庵では得意の琵琶を奏で、仏道修行も試みたが、「ようやく舌の力を借りて、救済者たる阿弥陀如来の御名を、二、三回となえるにとどまった」と書いている。『発心集』も修行のため執筆したと思われるが、最晩年の作かどうかはっきりしない。長明は、『方丈記』を完成した建暦二年から四年後、享年六十ニ歳で死去した。 

II 発心集
発心(道心を発して仏道に入ること)体験をもった人々の事例を集めた随筆集で登場人物はさまざまである。彼らは、しばしば伝記研究から浮かびあがる長明の姿を酷似しているようで、死や隠遁への志向が強い。「序」で仏の教えは真理であり、「人が一生を過ごす間に心に思うことはすべて悪行である」とし、仏道を教える高僧でさえ「善心は野の鹿のことくつなぎがたく、悪心は飼犬のごとく身辺を離れない」と述べている。

二人の高僧

高僧たるも、ときには想像もできない行為をする。二つの事例が印象深い。

1.陰徳の人:比叡山に供奉(やぶ)という高僧がいた、ある日、突然この世の無情を悟り「名利にとらわれてばかり」むなしく暮らしていることを悔やむ。次の瞬間、上着もなく山をでて、足の向くまま淀の方へさまよい、下り船の目的地であった伊予の国へいった。門乞食となって国守の館に入ったとき、そこで働いていた弟子が自分の師匠と気づいた。涙ながらに声をかけたが、きっぱりといとま乞いして立ち去った。後に深山の奥の清水の湧き出ているところで、師匠は西に向かって合掌した姿で息絶えていた。

2.上人の妻帯:高野山のあたりで修行の徳を積んで弟子も大勢いた聖が、年老いてから腹心の弟子に頼んだ。「年をとるにつれて、身のまわりもさびしく・・・」しかるべき女性を夜の話し相手にしたい。私が生きていることを知られないように、死んでしまった者のように取りつくろい、わずかに生きていけるだけのことを手配してくれと熱心に訴えた。

六年たって、女が泣きながら「今日の晩にあの方はすでに亡くなりました」と言ってきた。そして女は弟子に、生前二人で念仏をとなえた夫婦生活を語ったのである。

木こりの悟り

年老いた木こりが若い息子と奥山で仕事をしているときのこと。頃は10月末で木枯らしが吹き、木の葉が散り乱れていた。このさまを見た父が、春夏秋冬における木の葉の変化をわが身のありさまと比較して話した。自分が散るのは今日・明日のこと、家へは帰らないでこの奥山で静かに念仏していたい。すると息子は自分も留まって雨風の苦しみや獣のおそれを緩和するなどと言って、小さな庵を二つ作り朝夕念仏して過ごした。父は往生したが、息子は現存しているという。

結 語

これらの事例集を読んでいると、日本人にとってやすらぎは自然に親しむこと、死は自然に帰ることである。そして新しい木の葉が芽吹くように、人間の命の連鎖が続く。それは仏教が教える輪廻や極楽浄土とは違う日本人本来の死生観であろう。長明は随筆文学によって我々にそのことを教えていると感じた。[2011.9 KK.HISAMA]

巨大地震で傷ついたこころを癒す古典:『方丈記』他:後 編

[現代語訳]方丈記・発心集・歎異抄:三木紀人・訳と解説、学燈社、2006

III 『歎異抄』

絶え間ない天災と戦災により一大変革期となった中世初期は、庶民の間でも仏教が広まり、世は新仏教諸宗の時代となった。代表的なものは、学識無比といわれた法然が始めた浄土宗であり、法然の弟子で最も若い世代に属する親鸞が始めた浄土真宗である。念仏仏教禁止の令により法然は讃岐に親鸞は越後に流された。彼らは4年後に釈放されたが再会することはなく、それぞれの仏教の布教に生涯尽くしたのであった。『歎異抄』は妻子と共に日立(茨城県北東部)へ移住した親鸞が、20年の歳月をかけて布教活動をした浄土真宗をわかりやすい文章にした書である。著者は親鸞が日立を去った時まだ14歳と推測される弟子(唯円が有力)によって、親鸞が没してから20年ほど後に書かれたと思われるが、高度な文学作品として今日まで生き続けたのである。

読者は徹底した他力本願を伝える唯円のゆるぎない信仰心と師・親鸞に対する敬愛の念に圧倒される。全体は親鸞の言葉として書かれているが、文体はわかりやすく、親鸞の言葉一つひとつが丹念に選択されている。対象となる読者は念仏仏教の信者、無学で素朴な庶民だが、『歎異抄』という書名にあるように浄土真宗の布教者が親鸞の教えを忠実に伝えることを願って「泣く泣く」書かれたと言う。内容は極楽往生を願う念仏仏教の真髄を「本願」として、書全体を通してわかりやすく説明している。

本願とは「阿弥陀仏の誓願の不思議な力にお助けいただいて、往生することができるのだ。そう信じて、念仏をお唱えしようと思いたつ心が起きる時、仏はすぐに、救済のご利益を人にうけさせなさるのである。阿弥陀仏の本願においては、老少・善悪などで人を差別されず、ただ、信心が必要なのだと知るべきである。なぜなら、それは、罪悪が深く重い、煩悩が盛んな衆生(しゅうじょう)を助けるための願いだからである。・・・」

読者は信仰とは、他力本願とは、そして今も継承されている日本人の心理的特徴(例:万人平等とか生涯の師弟関係)への洞察を深めることができる。

アジア諸国でいち早く西洋化を進め、経済大国となった日本人は自力本願の側面も強い。激しい競争社会である米国で30年過ごした私は、初めて『歎異抄』を読んだとき、ユーモアあふれる筆致だったこともあり、他力本願の「おろかさ」に苦笑した。それは私が苦難の中にいなかったからであろう。愛する人の突然の死、犯罪者、不治の病などがあれば、他力本願こそ魂の救いであろう。キリスト教でも、聖母を敬うカトリック教は他力本願の要素が強く、貧しい人々や災害など苦難の道を歩む人々へ魂を癒してくれる。

『歎異抄』はわかりやすく見事な日本語で書かれ、読者を阿弥陀如来の深い愛情で包んでくれる。きわめて短いのでテープに吹き込んで聞いていると安らかな気持になる。就寝前にこのテープを聞くと快い眠りを保証してくれることを告白したい。

©2015 athena international research institute.