第1回 日本の神々:前編

第1回 日本の神々:前編

 
 太古の昔から日本人と共にあった神々が初めて意識されるようになったのは、飛鳥時代に百済から伝導された仏教による。朝廷が受け入れた仏教は、金色に輝く仏像、深遠なる経典、洗練された寺院建築など、見える宗教として今日まで日本の宗教界を主導してきた。為政者は朝廷から幕府へと変化したが仏教は保護された。およそ一五〇〇年の間、仏教に覆われた日本の神々の本質は何か、日本人の宗教心はどのように生き続けたのであろうか。
 

日本の神々と仏との違い

 
 奈良時代に完成した最初の歴史書である『日本書紀』によると、日本の民俗宗教は「仏法」と対置され「神道(かみのみち)」と呼ばれた。仏(Buddha)とは、仏教の開祖・釈迦が法(だるま)を発見して悟りを開いたように、「悟れる人」である。すなわち、仏教は人間が仏になるための教えであり、修行であり、成仏に導く「法(dharma)=真理」の信仰である。仏は人間が経験する苦の原因(=煩悩)を修行によって断ち、無我の境地へ到達した人である。一方、日本人は太古の昔から大自然の中で神々と交流し、共に生き、神々を(いつ)き祭ってきた。日本の神々は目に見えない魂の波動として自ら発信する存在であり、悟った人間でもある「仏」は原理的に異なる。宗教学者・鎌田東ニは、次のような対比を試みている。
 神は来るもの・仏は往くもの
 神は立つもの・仏は座るもの
 神は魂・仏は心
 神は見えぬもの・仏は見えるもの
 神は在(生)るもの・仏は成るもの
 神は語るもの・仏は黙すもの
 神は波動・仏は不動
 神は力動・仏は行動
寺院や仏教芸術を見ると日本は一見仏教国に見えるし、日本人も仏教は「先祖代々の」宗教と考える人が多い。しかしながら、六世紀における仏教の伝来、それから千年経ってキリスト教が伝来したにもかかわらず、日本人の宗教は意識されない魂の鼓動として生活の中で体験され、民族のアイデンティティの基調をなしてきた。今でも、日本中にたくさんの鳥居と神社があり、多くの人が祈願している。人々が祈願する内容は、無数の絵馬や紙に書かれているので誰でも読むことができる。それらは、結婚、出産、仕事、受験、家内安全、病気の治療など、すべて日常の事柄であり、日々の営みが決して平坦ではないことが伺われる。人々は神々の加護を必要としている。
このことは素朴な神祗信仰を基盤とする日本人の生活の一端として否定できない事実である。日本の神話に語られる八百万(やおよろず)とも言われる多くの神々は、老若男女と様々で、時には悪さもするし互いに争うなど人間性あふれる。日本の民話や神話では、若い男女の神々が恋や結婚し、出産がしばしば語られる。日本の神々は人間を創造した絶対神とも、法を教える仏陀とも明らかに異なるのである。私は過去日本で交流した外国人教授たちから、日本人の宗教について興味ある意見を聞いた。
 

外国人教授たちが見た日本人の宗教 

 
1.カナダ人のK教授
 K教授はヴェトナム戦争への参加を逃れてカナダに移住した宗教学者で、ハーバード大学で学生時代から日本の禅や仏教を学びライフワークとしている。日本に関する専門書も出版し、近年は客員教授として関西の大学で教えた。私は日本の宗教について語り合いたいと考え、彼が帰国してからカナダの自宅を訪問した。静かな森の中にある自宅のリビングルームには仏像が安置されていた。そこで四日ほど滞在してお話を聞いているうちに、神道について新しい発見があった。ある日、K教授は思慮深い表情で私に言った。
「日本に生活してから、日本の宗教は神道であることがわかった・・・」
彼が日本の大学で教えるため長期滞在した時は六〇歳を過ぎていた。今回は二年間関西に滞在し、その間、日本の宗教を深く知るため各地を訪れ、マスターや庶民と親しく交流した。彼は私がおみやげにもっていったフルーツゼリーの中に、ぶどうや桃がその形のままであることに気づいた。
「自然の形のままだ、日本人が自然を崇める心はこんなところにも見える・・・」 
K教授は感慨深い表情でゼリーを眺めていた。
2.アメリカ人のC教授
コーネル大学で農業と社会学を学んだC教授は、若い頃は国際協力のボランティアとしてベトナムで生活し、結婚後は家族と一緒にアフリカで生活した経験がある。今回は日本の大学に半年間滞在した。近年、心筋梗塞からバイパス手術をした経験がある。日本の宗教に興味があり、関西から九州地方を積極的に旅行していたので、夫が郷里の町や家族の墓に案内した。C教授が最も興味を示したのは、古いお寺の木立の下にある先祖代々の墓であった。モダンな市の中心街近くにある墓地は、樹木がうっそうと茂り昔の姿を留めたままである。夫の家系は一四代続いたので、墓の一角は家族の長い歴史を物語っている。そのこと知ったC教授は大変感動した。
なぜなら家族制度がないアメリカでは、自分達の墓は作るが子孫が守ってくれる保証はない。アメリカのあちこちで見る一代限りの墓地は、草がぼうぼうと茂り、日本の墓のようにお参りする人が残す新鮮な花は見られない。彼は私が担当するクラスで講義してくれたとき学生にこのことを話し、日本の宗教について自分の気持を伝えた。
 「私が日本人だったら毎日神社にお参りします」
C教授は、祖先崇拝は日本の民族宗教である神道である事を発見した。それは、若いときから発展途上国で生活した経験と、宗教への直感からであろう。

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