第3回 宗教と家族:前編

第3回 宗教と家族:前編

 はじめに

   アルバニアの実業家でカトリックの家族に生まれたアグネス(本名)は、一八歳でアイルランド系の修道会に入り、一九三一年にインドにおもむいた。修道名はテレサ、六年後に終生誓願をしてシスター・テレサとなり、ドキュメンタリー映画『すばらしい神様のために(Something Beautiful for God)』と同名の書籍によって全世界に知られるようになった。一九七九年にノーベル賞受賞のインタビュー中で、「世界平和のためにわたしたちはどんなことをしたらいいのですか」と尋ねられたところ、マザー・テレサは答えた。

  「家に帰って家族を大切にしてあげてください」と。
若くして修道女となり家族と絶縁しなければならなかったマザー・テレサが求める家族が意味する重さを表現する言葉である。
          
家族の中にある生と死
  すべての生の出発点は家族であり、家族は日々の営みの源である。マザー・テレサは、家族が支えあう生き方によって、国家、ひいては世界の平和を達成してほしいと願ったのである。我々一人ひとりは、何万年、いや、何十万年という民俗の歴史における生のつながりの中で生きている。時代や民俗の違いを超えて、人間の出発点は家族の中であり、人間は家族と共に生き、家族の中で死ぬことを望む。世界の宗教においても家族は中心となる概念である。マザー・テレサはインドの貧民街に設立した「死を待つ人々の家」で、道端で誰にも看取られないで亡くなっていく人たちの身体を清め、心のやすらぎを与えた。
  「私は路上で動物のように暮らしてきました。それなのに愛と思いやりに囲まれて天使のように死ねます」
路上で体を虫に食われていた男性の言葉であった。「死を待つ人の家」ではカルカッタで五年間に、一万七千人が美しい死を迎えた。家で、家族に看取られ、子供たちに未来を託して亡くなることの意味を教えてくれる言葉である。

  幼な子と母親の絶対的な信頼とつながりにある人間関係こそ、人々が宗教に求める概念であり、それが最初に実現されるのが家族の中である。ちょうど、水面に石を投げたときの輪のように、家族のつながりは世間のつながり、国家のつながりへと広がっていく。

  外国語が得意な長女が大学生時代、親友と一緒にヨーロッパ各国を旅行した。多くの土地の人々と交流したその時の感想は普通の旅行者と違っていた。

  「どこへ行っても、人々は普通に生活していることがわかった・・・」
世界旅行をして何が見えてくるか、それは華やかな観光となる芸術や遺跡や見事な大自然だけではなく、ささやかな日常生活を営む人びとの姿であった。家族の生活は、日常茶飯事とも言われるほど、あまりにも自然な姿ある。そうした家族の重要性に気づくのは、その日常性が失われるとき、すなわち、別れや病気や死期を迎えるときである。
  キリスト教徒であったキュブラー・ロスも、死にゆく人々のためにマザー・テレサにも負けないほど献身的に働いた。家に帰るのは月に一回くらい、夫と二人の子どもを見放して仕事に熱中した。老いて脳卒中で倒れたキュブラー・ロスは、アリゾナ州で一人暮らしの生活をする。死にたくても死ぬことができないので神を呪うようになった。死の瞬間を迎えたとき、中年になった二人の子どもたちと孫が最後の別れをするために駆けつけた。キュブラー・ロスに平和な死の瞬間を与えてくれたのはやはり家族だったのである。
 
家族と心の健康
  マザー・テレサは、貧困は貧しい国だけの問題ではない、物質的に豊かな国における精神的貧困はもっと深刻であると言った。晩年になってから三回も日本を訪れたマザー・テレサは、日本人の心の貧しさを見抜き、「日本人はインドのことより日本の貧しい人々への配慮を優先すべきです」という言葉さえ残している。外国人は日本人の心は貧しいと思うかもしれない。国際社会で活躍するビジネスマンや若い留学生など、宗教のない日本人はそのように見えるであろう。世論調査においても、心の問題は三人に一人とも言われ、自殺者数が年間三万人を超える。
  多くの日本人は人間の存在の問題さえ、医療保険が適用する医者や心理士によって解決しようとする。西洋医療を建前とする医者は科学者であり、彼らの特技は毒性の強い薬の使用と、手術など高度な技術による治療である。抗精神薬が進歩した今では、精神疾患も医者は薬によって相当なレベルまでは治療できる。しかし、薬で治らない「心の問題」のほとんどは人間関係からくるストレスであり医者の専門分野ではない。
  平民として初めて皇室に入った美智子さまこそ、人間関係からくるストレスについて誰よりも深い洞察を持って生きる人と思う。平成五年九月のこと、両陛下がヨーロッパ公式訪問を終えた直後、皇后さまは突然倒れて声が出なくなってしまった。当時親しかった人の話では、翌年のニ月にお会いしても声は戻らないままで、声帯を失った人のように話された。思い切って、なぜカウンセラーや精神科医の助けを借りることは出来ないかと尋ねると、「でんでん虫の悲しみ」について話してくださったという。
(引用)
  「でんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気づき、友達を訪ね、もう生きてはいけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話しました。友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっている、と答えます。小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねていき、同じことを話すのですが、どの友達からも返ってくる答えは同じでした。そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話はでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています」
  皇后さまは声を失うほどのストレスでさえ、誰もが背負っていくべき悲しみとして受け入れて乗り越えたのだ、と筆者は皇后さまの「告白」を終わっている。皇后さまの悲しみを支えたのは幼少時代の暖かい家族であり、陛下と共に自分が育て上げた家族であったことは容易に想像できる。

©2015 athena international research institute.