第2回 宗教とアイデンティティ ・後編

第2回 宗教とアイデンティティ ・後編

 

歴史文学によるアイデンティティ

 歴史的な視点から日本人のアイデンティティを追求し、戦後の日本人に影響力が大きかったのは故・司馬遼太郎であろう。学生運動の最中に『燃えよ剣』を書いても、極左の学生は好意を持っていたというほどの幅広い読者層に影響した。歴史研究家で司馬と親しい半藤一利との最後の会話で司馬は、「これからの日本を何とかするためには、国民の八〇パーセントが合意できることを・・・」、合意できることは「一つだけある。自然をこれ以上壊さないことだ・・・」、それはこれからの日本を救うために一番いい方法であると言って亡くなられたと言う。
 自然を守り自然と共生することこそ日本の宗教の真髄である。これほど日本と日本人を愛し、愛された司馬さんが宗教を語らなかったことを弁護して、作家・関川夏央は「われわれ日本人は本来宗教に縛られることのきわめて少ない体質で、そういう人々が豊かさや苛烈さをともにもたらす風土で融通(ゆうずう)無碍(むげ)に生きてきたじゃないか、と言いたかったでしょうか」と述べている。それにしても「国民の八〇パーセントが合意できること」という考え方は、宗教の本質を知る上で洞察の深い数字である。それは現在フランスでキリスト教を信じる人々の数であり、母国の宗教を守るためにフランス政府は、日本の新宗教をカルトとして女性や子どもを守る政策を実施している。
日本人のアイデンティティを歴史に学び、日本人の生活の中にある宗教を洞察することは重要である。しかし、司馬の歴史研究は男性を中心にしている。それ故、一般庶民の生活、中でも女性が中心となる家族の生活を洞察しなかった。男性の歴史観であり、男性は神々を信じる女性たちの加護のもとに生きていることを意識しなかったように思う。女性と宗教は本書の重要な課題である。
 

神話のアイデンティティと深層心理

 西洋の文化は、理性を基調とするキリスト教(ギリシャ哲学の影響を含む)の文化である。キリスト教の霊魂観は理性を軸とする思想によるもので、プラトンの言葉にあるように、あの世における神の裁きをうけるという神話によって語られている。これはあくまで理性による価値観であり、宗教的な論争は「理性」と「意識」の世界で行われる。意識の世界ですべてを考え、理性を超えた領域も理性の尺度を用いる。そこでは無意識の世界は幻想に過ぎない。
しかし、産業革命の基礎となった科学の時代になると、人間の深層心理を探る精神分析学が台頭した。ユングは「私の著作は基本的には『此世』と『来世』の相互作用の問題に回答を与える試みに他ならない」(「ユング自伝2」みすず書房、・・・)と述べている。無意識の世界を研究する深層心理学を代表するユングは、東洋人の幽を理解する人であり、祖霊はユングの学説における重要な概念である。
 戦後派を代表する心理学者、故・河合隼男は、敗戦による混乱の中で自己の存在の意味を見出すためアメリカとスイスでユングの深層心理学を学んだ。彼は多くの日本人と同じく、日本神話が軍隊に利用されたことを知り嫌悪感をもっていた。スイスでユング派の分析家に師事したとき、日本の神話を分析するようにすすめられた。神話は世界中にあり「神話をなくした民族は命をなくす」と言われ、民族が共有する心性であり宗教となる。太陽は世界中の神話と信仰の対象である。
 すべての現象を客観化する科学の知は神話の知を破壊する。人間はつながりを失い「関係性喪失の病」となり居場所を失う。死に関する神話によって生と死のつながりを見出し、死をおそれない安心感が生れる。神話学者・カール・ケレニーが河合に言われた「神話を何度も何度も読んで心の中に生れる詩がある」という言葉の意味は深い。神話や物語の中に日本人のアイデンティティを求めた人は多い。儒学が全盛した江戸時代中期に『古事記』を学び、国学を創立した本居宣長はその代表的な人物である。
 

孤立する哲学者のアイデンティティ

 中島義道は伝統的な地方の家に生まれ、日本の一流大学を卒業しドイツで哲学を学んだ。ドイツで日本女性と恋愛結婚して息子が生まれ、帰国してからは大学の教職を得て哲学を教えている。自分さがしで悩んでいる学生にとって中島は成功者であり、うらやましい人である。哲学に「しがみついた」理由は少年の頃から生と死について考えても解決されないからであった。ドイツでカントの哲学を学び大学でも哲学を教えてきたが、五〇年経っても解決されない。ソクラテスのように真理のために死ぬわけでなし、そうかと云って社会の因習に安住できない。「生きることも死ぬこともいや」という人生を送る自分は「ならずもの」で信仰(悟り)に至ることもできないと言う。
外国生活を経験した人にとって、日本人特有の儀礼的な親戚関係はうっとうしいので、ある程度の人間嫌いは避けられない。しかし、彼の人間嫌いは徹底している。中年になって人間嫌いのため親戚づきあいを拒否してからは、同じ家に住みながら何年も妻と口をきかない、息子の居所も知らない。そんな夫婦関係に悩んだ妻は、ある日ウィーンでカトリックの洗礼を受けた。中島は十数人の神父が遠くでとりおこなうミサと、ミサを受けた妻が爽やかな顔で大聖堂をでるシーンに感動する。
ミサの場面を見ていたらセルティ−の幸福論の一句が頭に浮かんだ。「人格の復活はキリスト教がわれわれに与える最も疑いない、最も明白な約束の一つである」、続いて「もしもキリストの復活が事実でないならば、二千年来の世界史全体が一つの錯覚であり、いや、それどころか、故意の虚偽に基づくものとなるであろう」と述べている。かくして西洋哲学者となった日本人の「宙ぶらりん」状態が続く。西洋の学問に目を向け続ける日本人の苦悩の深さを想う。

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