サピエンス勝利の歴史と危機:終章

サピエンス勝利の歴史と危機:終章

 著者は、歴史学者の間で議論されている問題点を指摘し、自らの考えを述べている。その中から印象に残った一部を紹介する。

なぜ歴史を学ぶのか

 科学革命の歴史を前に、著者は「なぜ歴史を学ぶのか」について、独自の見解を述べている。なぜなら、これまでの歴史書では歴史上の出来事を述べるが、それらの出来事が人々の幸福と苦難にどう影響したかを考えていないからだ。歴史書の最大の欠陥であるという。

  過去の歴史を振返ると、いくつか重要な分岐点があった。しかし、どの方向へ向かうのかは、全くわからなかった。すなわち、歴史の展開は自然な成り行きでも、必然的な結果でもない。常に想像もできない未来があった。例えば、アフリカがヨーロッパ諸国に支配された歴史は、必然ではなかったし、他の様々な可能性があったかも知れないのだ。

 こうした歴史の事情があるので、歴史を学ぶ理由は未来を知るためではない。歴史がどのように進展したか(how)は後から説明できるが、なぜそうなったか(why)は永遠の謎である。確かなことは、歴史の展開は神秘的であり、必ずしも人類の利益のためではない。人類の未来は、我々一人ひとりが考えるべき課題である。

 科学革命によって、サピエンスは自然を超越する「神」となった。今、最大の課題は、未来を考えることであるが、それに気づいている人は少ないという。

体と心の「感染症」

 グローバル化は、サピエンスの歴史と共にあった。しかし、日本でグローバル化が広く話題になったのは、20世紀半ばに始まった経済成長による所が大きい。長い平和な時代が続き、グローバル化がもたらした豊かな生活が続いた。その頂点で起こったコロナの世界的な流行は、感染症の脅威が克服されたと考えられた時代の出来事である。

 ウィルスなど微生物による感染は、体を内部から破壊していく。一方、戦争や暴力によって、体は外部から破壊され心の傷が残る。戦争や暴力は、心の中で増長する嫌悪や不安によって起こる。著者によると、嫌悪や不安は生活の中で継承される文化(culture)によるもので、心の感染であると言える。心の感染は、誕生と同時に始まり、生涯に渡り増長していく。

 科学技術の進歩によって、我々は無限の物質とエネルギーを生産し豊かな生活ができる。豊かな経済は、世界中の人々の目標となった。その目標を持続し活性化するための政策は、自然破壊によって他の動物や植物の絶滅につながった。生活を導く宗教はもちろん、政治を支配する資本主義や社会主義も文化である。「人類愛」や「科学至上主義」も文化であり、人々の心を感染し増長する。

 文化や思想の違いは、しばしば暴力や戦争へ発展する。心の感染は、人類にとって体の感染にまさる脅威となった。 

おわりに:サピエンス勝利の歴史を終えて 

 サピエンスは「神」でありながら、動物と同じようにウィルスに侵され、他の人間と争う本能を持っている。新しい命を生み、その成長を喜ぶのも本能である。科学革命による社会変動は、物質的な豊かさをもたらしたが、必ずしもサピエンスを幸福にしていない。著者は、科学革命による最大の不幸は、新しい命を生み育てる家族とコミュニティの破壊であるという。

ここまで述べた大変動がちっぽけに見えるほどの、これまで人類を襲った比類のない社会革命:
それは家族と地域社会の崩壊であった。

Yet all these upheavals are dwarfed by the most momentous social revolution that ever befell the humankind: the collapse of family and the local community….(p398)

 私はコロナ禍以前の経験を思い出した。それは、日本中がグローバル化の波に乗り、海外旅行が盛んな頃だった。私の小さな幸せは、日本で、そして世界の国々で、街を通る赤ちゃんの笑顔に会うことだった。あるとき、私を唖然とさせた出来事が起こった。

 羽田空港のオフイスで搭乗の手続きをしていた時、中学生くらいの男の子がベビーカーに乗った赤ちゃんと一緒だった。すぐ近くにいた私は、赤ちゃんと笑顔外交を試みた。赤ちゃんはにこりともしない。いつも笑顔外交に成功していた私が、不振に思っていたら男の子が言った。

 「この子はお年寄りを見て泣き出したことがあるよ」

 老人だけでなく、人見知りかもしれない。マンションの一室に住む核家族なら、他人に会う機会が少ない。家族と離れひとり暮らしの老人も同じだ。ときたま、身支度もしないで、バサバサの白髪をふり乱した老人を見かける。若い家族だけの赤ちゃんにとって、老人はもちろん、見知らぬ他人は恐ろしい生き物かもしれない。 

 「光陰矢の如し・・・」月日の流れは止まらない。我々は宇宙開発を目指して進展するサピエンスの歴史を止めることはできない。サピエンスの未来は、今も昔も永遠の神秘であろう。しかし、我々はサピエンスの歴史を知って未来を考えることができる。

 西アフリカの一角で採集と狩猟をした時代に、世代を超えて集うサピエンス一家を想像しよう。一日の仕事を終えた田んぼの中で、夕日に向かって祈る農夫を描いたミレーの絵を思いだそう。そこには、遠い過去と未知の未来を結ぶサピエンスの幸せがあるのではないか。

目次に戻る

 

©2022 athena international research institute.