第2回 宗教とアイデンティティ ・中編

第2回 宗教とアイデンティティ ・中編

科学主義とアイデンティテー

  柳田國男は民俗学の研究においてデータによる科学的な方法を強調し、科学主義の立場から霊魂を研究した佐藤真に将来を嘱望していた。佐藤は明治の半ば沖縄に生まれ、東大法学部を卒業後判事をした人で、若くから沖縄の霊魂など宗教に関する概念を掘り起こし世に発表した。彼は精神の歴史的な推移を「原始時代」から「科学時代」までの五段階に考え、その中で祖先崇拝の霊魂を否定した。「霊魂の妄想から自由になった科学時代」の世界を望んだが、三一歳で死亡したため、善と美の追求は霊魂の世界に終わっている。このように、近代日本の宗教は科学と無縁であることはできなかった。柳宗悦は『科学と人生』の中で科学が従来の宗教にとって変わることができる、否、科学こそ、きたるべき時代の新しい宗教であることを力説した。彼は科学によって宇宙の神秘を立証できると考えたのである。二二歳であった柳が考えた「新しい科学」とは、当時欧米に流行していた心霊現象の研究であったがその夢は挫折した。
 科学主義は西洋から学ぶ学問としてすばやく日本社会に広がっていった。日本の物づくりにすぐれた技術は、日本をアジアで最初の先進国から経済大国にまで発展させた。中でも光学機器、通信機器、自動車・電車などのすぐれた技術は世界の先端を行くものである。アメリカの資本主義社会が実現した物質主義は、日本で二〇世紀の後半に実現した。その過程で見られる対照的な社会現象は、アメリカにおける多民族の融合と日本における単一民族の分裂である。科学主義による宗教回避もそうした現象を押しすすめ、心の問題を拡大した。
心の問題はいつの世にもあったし、幼少のときから培った根っこによって個人が乗り越えるものである。宗教のない日本人は心の問題を科学者である医者やカウンセラーが解決してくれるものという幻想を抱くようになった。ある精神科医は、死のショックを乗り越えるために「宗教を利用すること」「宗教に頼ってみるのも一つの方法」であり、宗教の教訓は教えが多々あると言う。また、「宗教でなくても、精神科医を利用してもよい」ので、「自分に合ったものを探して危機や苦しみを乗り越えていく」ほかないとも述べている。「宗教は利用するもの」という考えは、神社まいり、結婚式、葬式など、宗教を使い分ける日本人による宗教の表層的な理解であると思う。
 

夏目漱石のアイデンティティ

  夏目漱石の求道の出発点も理性にあった。「智性ノ眼を閉ジテ安心ヲ冀ヘト云ウハ足ヲ断ッテ坐セト云フガ如シ・・・」と明言して、漱石の神仏なき救済論が組み立てられていった。宗教ジャーナリスト・阿満利麻によると、漱石の二つの課題は、日本人の主体性をどう確保するか、そして主体性の根拠を問うことであった。こうして西洋化という外圧の中で、自らの生き方の確実性を追求する漱石の文学活動が生まれた。
漱石は、神・仏なき救済論を小説を通して主人公の生き方の中に追求した。知性と理性に立つ漱石が求めた求道(生死を超える道=宗教)は、意識を離れず、智を離れず、常を離れず、意志を離れないところにある。(『漱石資料―文学論ノート』一四頁)その方法は、科学者のように物事を客観的に見ることであり、漱石はこれを「非人情」と呼び、『草枕』に述べている。「非人情」とは「利害を棚にあげ」、「間三尺をはなれ」、「一歩しりぞいて有体に落ちついて他人らしくこれを検査」する科学者の態度である。世を離れるのではなく、あくまでも人情のゆきかう俗世界に生きて楽しむことである。それは詩人や画家のように、同化してそのものになる純粋な客観性、すなわち「純客観の目」を会得することだ。
 「純客観の目」は、生と死を分割するのではなく一貫するものと考える。それは生を愛し死を憎むのではなく、公平な視点から眺める。人間の欲望や苦悩を小自然の出来事として、大自然の視点から考える。例えば普遍的な苦悩の原因として病気と愛欲がある。漱石は小説『明暗』の中で、夫婦の愛の葛藤を描いている。そうした葛藤はエゴイズムの世界である小さな自然(小我)から、大自然(大我)に飛躍するチャンスであり、広い意味での修行である。

 しかし、人間は神ではない。執筆によって求道を続ける漱石は精神的危機に陥り、絵筆をとったり漢詩を作ったりした。肉体の消耗も激しく、糖尿病を患い胃がわるくなって寝込むこともしばしばで、死の直前は極度に痩せて血を吐いた。漱石の人生は、意識の行者としてのプロセスであり、それは近代という時代精神をもって忠実に生きようとする人間が葛藤する姿であったとも言える。 

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