四季に生きる癒し

四季に生きる癒し

はしがき

 日本文学の根底には季節の美意識がある。私が長い米国生活を終えて帰国した後、某精神科病棟でAさんにお会いするようになった。Aさんは私を見ると必ず側にきて話しかけた。

 「先生、日本の四季って本当にすばらしいわね・・・そう思いません?」

 話題はいつも同じ四季の美しさだった。モダンなコンクリートの病棟の中で移りゆく自然を思うAさんの言葉は新鮮で、今も記憶に残っている。季節を背景にする男女の情愛は、紫式部の『源氏物語』の中で繰り広げられる。随想文学における四季の美意識は、王朝時代は清少納言、中世は長明や兼好によって継承されている。

 

清少納言

 『枕の草紙』の簡潔な第一段は、著者の鋭い感性が捉えた四季の描写で始まる。

 「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなお。蛍の多く飛びちがひたる。ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
秋は、夕暮れ。(以下、夕日を背景に飛ぶ烏・雁、風・虫の音を視覚と聴覚で捉える)
冬は・・・(早朝の雪や霜、寒い朝、炭火が赤く燃えて灰になる過程まで)」

 続く段でも時節の風物が詳細に描かれ、作品全体においても花・鳥・虫、雪や月の描写は少なくない。
 

鴨長明

 『方丈記』は約一万字の短い随筆でありながら、長明は山里にある草庵のまわりの四季に深遠な思いをはせる。

 「春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方ににほふ。夏は郭公(ほととぎす)を聞く。語らうごとに、死出の山路を契る。秋はひぐらしの声、耳に満ちてり。うつせみの世を悲しむほど聞こゆ。冬は雪をあわれぶ。積り消えるさま、罪障(ざいしょう)にたとへつべし」

 紫雲・冥土の鳥ホトトギス・悲しげなヒグラシの鳴き声・消える雪など、長明らしい無常観や死への連想である。仏道を志した長明が時折に奏でる琵琶のエレジーのように心に響く。
 

兼 好

 兼好が捉えた四季の美意識は、移りゆく四季を惜しみ、別れに伴う哀感や無情感を彷彿とさせる。『方丈記』による影響であろうか。

 「折節(おりふし)の移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。もののあはれは秋こそ勝れと人ごとに言うめれど、それもさるものにて、いま一際(ひときわ)心も浮きたつものは、春の気色にこそあめれ」

 兼好が愛でる春の梅や桜や藤は、すでに清少納言が木の花としていみじくも述べており、王朝文学や和歌と同様な基盤である。とは言え「同じことを今さら言うまい」と自戒する兼好は、冬は雪ではなく散った紅葉と白い霜、遣水からたちのぼる水蒸気、慌ただしい歳末と静かな新年など、季節と共に生きる庶民の様子を描写している。しかしながら、第三十一段では王朝時代に思いをはせる兼好がいる。

 雪の美しい朝、兼好は親しい女人に文(ふみ)を送りながら雪については何も触れなかった。その文への返事の中で、その方は兼好が雪について「一筆のたまはせぬ」悔しさが書かれていた。今は亡き人なれば、遠く去ってしまった王朝時代をなつかしむ兼好の姿がある。他の段でも兼好は月見について王朝時代のような優雅な思い出を述べている。

 

おわりに

 日本のような変化に富む美しい四季の移り変わりは世界でもめずらしい。王朝期の風雅は中世に入ってから次第に薄れゆこうとしていた。それから八百年近く経た今では、朝夕の車の渋滞やスマートフォンから目を離せない人々。一方、移りゆく四季に伴う情緒を大切にする習慣は、和歌や俳句、手紙の書き始めに綴る季節への思いに残っている。食文化や年中行事としても継承されている。

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