随想文学にみる王朝の美意識と癒し

随想文学にみる王朝の美意識と癒し

はしがき

 随想文学の頂点をきわめた三人の作者は、王朝期とそれに続く中世期という時代に生きた人たち。宮廷と深く関わる正規の職業人(清少納言は宮廷の女房、長明は神官、兼好は公家の家司)であり歌人でもあった。長明と兼好は引退してからも和歌を詠み続けて、自らの「こころ」を表現している。中世といっても、この時代の和歌は平安朝の伝統、「王朝」の美意識が支配しており、随筆において王朝時代へのあこがれが強い。これらの随筆が今日まで読み継がれてきたことは、作者三人が追及した「王朝」の美意識が、今も日本人の美意識として残っているためであろう。

 

和歌と随筆を比較する

 和歌は31文字という形式で、比喩や修辞にいたるまで制限されている。一方、随筆は自由な散文による表現形式で何の制限もない。しかしながら、写実的な眼で現実を見つめるという点で、和歌と同様な創造する喜びがある。随筆の内容は、作者の思想や世界観もあるが、何よりも作者の性格や日々の生活が反映されている。

 自由であるが故に、随筆は自己満足と惰性におちいる危険がある。これらの随筆作品は、正規の職業に伴う教養と経験に裏打ちされ、喜びと苦悩の中で書かれた作品である。書く喜びを味わうことで、苦しみを逃れるという緊張感に支えられている。そうした喜びによって、作者はこころの癒し」につながるようである。事実、清少納言と兼好は、随筆による癒し効果を明確に述べている。

 

清少納言

 「世の中の腹立たしう、むつかしう、方時あるべき心ちもせで、『たた、いづちもいづちもいきもしなばや』と思ふに、(訳:「人生に腹がたってきて、むしゃむしゃして、一時間だって生きているのが嫌になって『もうどこかへでもいってしまいたい』と思っているときに、」・・つづく)

 ただの紙のいと白う清げなるによき筆、白き色紙、陸奥紙など得つれば、こよなう慰みて、『さばれ。かくてしばしも生きてありぬべかんめり』となむ、おぼゆる。(訳:普通の紙なら真っ白くて美しいのに上等の筆を添えてとか、・・・すっかり気が楽になって、『まあいいわこのままでしばらくは生きていてもよさそう』・・・引用:第259段)

 

兼 好

 つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(引用:序段)

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