英語に征服されたエスキモーの言語と文化

英語に征服されたエスキモーの言語と文化

はじめに

 昨年の夏、初めてアラスカを旅行した。同行したアメリカ人と共に、私はエスキモー民族の博物館を見学。一つは市の中心部に、他は郊外の自然の中にあり、エスキモーの文化と生活を伝えている。シアターにおける伝統音楽の実演と、熱気あふれる冬季のスポーツ大会の動画。厳しい気候の中で、人々が緊密に協力し、雄大な自然と共生する姿に深く感動した。

 

言語と文化を失っていくエスキモーの悲しみ

 氷雪に閉ざされる厳しい気候ゆえに、エスキモー語と文化は、他の原住民よりも長い期間守られていた。しかし、グローバリゼーションの波は容赦なく襲い、未踏のことばと文化は、高波に飲みこまれようとしている。エスキモー言語の研究家・永井忠孝は『英語の害毒』の中で、エスキモー集落の村を訪れたときの驚きを次のように述べている。

 若者はアル中だらけ。ほとんどの家庭は低所得用の食料配給券で生活している。人口三〇〇人ほどの村なのに、毎年のように中学生くらいの子が一人や二人自殺する。都市部に出ていった若者は、犯罪を犯して刑務所入り。村一番の秀才は都会の大学に進学したものの、やがて退学―実に悲惨なものだ(『永井忠孝.英語の害毒、新潮社.2015,6.p8』)。

 これは、北米大陸に点在する多くの原住民社会に共通する現象である。永井によると、原住民にとって、英語は文明化ではなく奴隷化。日本の小学校英語で進めるような英語教育は、「自発的植民地化に過ぎない」「バイリングアル化は奴隷化への道だ」という。

 

民族の生死に関わることばの力

 ことばは宗教と同じく、民族の生活と共にあり、人々が生きる意味を見出すアイテンティティだ。ことばが無くなるとき、文化がすたれ、民族の魂が失われる危険がある。欧米諸国の海外進出が始まって五百年、今では、地球規模のグローバル化によって、多くのことばと文化が失われている。

 一方、新教徒が北米にやってきたのは、宗教上の理由から。新天地で生きようとする新教徒は、定住する強い意志を持っていた。しかし、彼らがインディアンと呼ぶ原住民は、弓と矢で異民族を猛烈に攻撃。冬の寒さと原住民の攻撃によって多くの人が命を落とし、定住するまでの困難は饒舌につくせないほどだった。

 しかし、新教徒たちの命を救ったのは「ことばの力」。一人の若い原住民の男が、英語がわかった。彼は、船員によってイギリスへ連れられ、生活した経験があるが、故郷へ帰りたくて船から逃亡した。運命の悲劇か、時代の流れか、セトルメントに成功したアメリカ人は、多くの原住民を殺害し、生き残った人は、リザベーションという特定地区に収容。自由に大陸を移動していた原住民は、生活の自由を奪われ、彼らのことばと文化は消滅したのである。 [KK.HISAMA,2017.2]

©2022 athena international research institute.