英語の危機と復活

英語の危機と復活

はしがき

 地方王が支配するイギリスは、常に外国から攻撃される危険があった。アルフレット王の没後に起こった最大の危機は、イギリス海峡を隔てたフランス・ノーマンディの支配者・ウィリアムが率いる大軍の攻撃。ウィリアムは強力なイギリス王(1066-1087)となり、英語は三百年も公用語としての地位を失ったのである。

 

英語の試練と復活の歴史

 ウィリアムはフランス語とラテン語を教会と政治の場における公用語とし、英語は家庭や遠い地方のことばなった。当時のフランス語は、世界の外交や交易の公用語であり、フランス語の単語はイギリス全土に広まった。

 フランスの支配が150年続いた頃は、英国人と結婚し、イギリスを祖国と考えるフランス人が増加していた。子どもたちは、イギリス人の母親や乳母から英語を学びバイリンガルになった。一方、ロンドンの人口が急増し、技術者は仕事でフランス語を話すようになり、フランス語こそ勝者のことばと考えられた。 

 

黒死病が英語の歴史を変える

 その頃小さなねずみが媒介するチフスがヨーロッパに広がっていた。イギリスでは教会や政治に関わり、フランス語やラテン語ができる要人が次々に死亡、英語を話す庶民が彼らの職位につくようになった。

 黒死病を逃れたのは、田舎の農夫や、スコットランドなど遠い地方の住民。彼らは英語を話すだけでなく、英語の歌や物語をひそかに継承。その間、英語は庶民のことばとして、文法はわかりやい形に変わって行った。

 黒死病によって、支配者を中心に最大で人口の三分の一が死亡、英語は「国王のことば」として再び公用語となる。英語によって確かなアイデンティティを得たイギリス国民は、エリザベス女王の元に結束し、「太陽が沈まない」世界制覇へと躍進したのである。

 

おわりに

 日本と同じ島国で、英語は外国語の危機を乗りこえ、庶民のことばとして磨かれて行った。今では世界で最も広く使用されている英語は、イギリス国民の母語への愛着とアイデンティティによって支えられた歴史の賜物と言えるのではないか。

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