「日米会話手帳」英語学習の原点

「日米会話手帳」英語学習の原点

「日米会話手帳」とは

 終戦の玉音放送を聞いた日、S出版社の社長の脳裏にひらめき、一か月半で出版された本(1945.10)のタイトルである。紙の供給さえ困難な時代、更紙32ページの本は、タテ・ヨコが9X13センチ、厚さ2ミリ。評論家のK氏は、本屋で初めて出会い「薄いパンフレットながら光輝いているように見えた」と言う。およそ3カ月で360万のベストセラーになるが、今では幻の書となったこの本を見たいと思い、複製版を入手した。原書を思わせる本を手にしたとき、私は小さな赤ちゃんを手のひらに乗せたような感動を覚えた。

 

「日米会話手帳」の内容

 図書館から届いたフォルダには、原本の全コピーと、国弘正雄など有名人による手帳との出会いに関する13のエッセイがあった。エッセイの内容は、手帳から英語を学んだよりは、新しい人生を歩むきっかけになったこと、英語教育がそれまでのイギリス英語から米語へ転換したことなど。手帳は戦後日本の英語教育を導く錦の御旗となった。

 最後の2ページにある「さざえさん」の漫画は、当時の英語熱を示す圧巻。手帳が喚起した日本人の英語熱は、育児で忙しい主婦にまで広がったのである。時代は、主要都市が戦火で焼け、二度の原子爆弾投下から間もない頃。青空の下の闇市で、おにぎりを買うお金を節約して古本など手にいれたS氏(アメリカの歴史が専門)は、手帳について次にように語っています。

 

見果てぬ夢として

 この手帳は、「重苦しく、封建的で非合理的」だった日本の社会で、「明るく民主的で合理的なアメリカ社会」をのぞく窓が輝くようにみえた。英語が生活では不要、海外渡航など不可能な時代、手帳は見果てぬ夢のようなもの。読まなくても机の上に置くだけで夢は夢であり続ける・・・自分は「それでもう十分だった」。 

 

おわりに

 生きるための英語を教える手帳の悲願は、ちらしのように捨てられた360万の手帳とともに忘却の彼方に。やれ英語教室、やれ海外研修と英語に浮かれる人たちは今日まで続いている。戦火の焼け跡から舞い上がった不死鳥の無念の気持ちを思う心の余裕はあるのでしょうか。[KK.HISAMA 2017.10]

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