葉隠の道しるべ

葉隠の道しるべ

分類・注釈:葉隠の真髄、栗原荒野編著、栗原耕吾監修、青土社、1935(1996)
葉隠(上・中・下)、和辻哲郎・古川哲史校訂、岩波文庫、1940(2007)

 

はじめに

 『葉隠』の成立や内容に深く関係する人は、口述者・山本常朝、筆録者・田代陣基、常朝が教えを受けた石田一鼎、常朝に深い影響を与えた湛然和尚である。祖父の代から鍋島藩主に仕えた家に生まれた常朝は、九歳のとき光茂(二代佐賀藩主)の小僧となった。後に和歌をたしなむ光茂の宿望であった「古今伝授」を得るため京都に滞在していたが、急きょ京都から佐賀へ帰り、光茂の死の直前に枕頭に届けたという感動的な場面がある。「お家を一人で荷なう」心意気で光茂に仕え、光茂の死に当たり四二歳の常朝は殉死を望むが、すでに禁止されていたので出家し、佐賀城下10キロの黒土原(くろつちばる)の庵室で執筆活動をした。若い浪人武士・田代陣基が常朝を慕い尋ねてきたのは10年後のことだった。

 

『葉隠』の構成と内容

 冒頭に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一句がある。確かに武士は常に死に向かい合うが、『葉隠』を読んでみると武士はもちろん、日本人は常に死を覚悟して力強く生きる道を教えていることがわかる。

 『葉隠』は全十一巻一三四〇項で構成され、内容は歴史、哲学、倫理、文化、教養、史跡、伝説、実話、逸事、和歌など多岐に渡る。『葉隠』の研究者たちは、原文を読むのが一番とし、定本は栗原荒野の昭和十年の著『分類注釈・葉隠の神髄』と同著者による『校注葉隠』がある。前著は全巻一三四〇節から七四一節を掲載している。

 栗原は、解説並に注釈に誤なきを期するため、元旦に葉隠ゆかりの神社や墓他に参拝し「葉隠の解説を誤らぬように、真剣真実の心を持たせて下さい」と祈願したという。常朝の墓に詣でた時は、とっぷりと日は暮れていた。薄暗い墓地に跪いて墓前に線香をたて、「墓石に両手を押し当てて祈る目には涙がにじみ出た」と述べている。

 

『葉隠』の継承

 『葉隠』はその精神に呼応した無数の哲人たちによって受け継がれ今日に至る。本物の武士によって書かれた唯一の書として国際的に評価されている。全巻をひもときテーマを選択して読むと、興味深いエピソードが多い。読者は少なくとも有名な「四誓願」から自己の生き方を考えることを薦める。英訳やイタリア語訳もある。初心者は葉隠研究会が無料で配布している小冊子からはじめてもよいのではないか。

 常朝は『葉隠』の他、娘お竹の婿のために奉公の心得を説く『愚見集』、領主としての心得や修行に関する『書置』、親子三代の『年譜』に加え、文学書『寿量庵中座の日記』、多数の和歌を詠んだ『山本常朝家集』などを残している。[K.K.HISAMA 2007.12]

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