幕末・維新を生きた女たち:シーボルト父子と日本女性

幕末・維新を生きた女たち:シーボルト父子と日本女性

維新の女:楠戸義昭、毎日新聞社、1993
続・維新の女:楠戸義昭・岩尾光代、毎日新聞社、1993
女たちの明治維新:鈴木紀子、NHK Books、2010

 

はしがき

 偉人の陰には彼らを支えた女性がいる。幕末から維新へ、日本の歴史が大変革した時代、愛する男たちのために生きた女性たちの物語がある。

 

父シーボルトと娘・稲の運命

 ドイツ人医師で植物学者の父シーボルトは、愛らしい遊女だった滝と結婚、娘の稲が生まれた。しかし、五年間の任期を終えたシーボルトは帰国の直前に「シーボルト事件」に巻き込まれ、多くの弟子たちも処罰された。シーボルトはふたたび日本にくることを禁じられ、滝と稲に別れを告げて日本を去った。

 まだ二十歳そこそこの美しい滝は再婚したが、混血児の稲にとっては過酷な人生となった。芸事や家事ではなく医師を目指した稲は、父シーボルトの門人・二宮敬作をたよって家出、外科医学の手ほどきを受けた。敬作は女性の産科医がいなかったため、稲に産科を学ぶことを勧めた。

 未婚の母として:稲は一九歳で産科医に弟子入りしたが、二五歳のときこの産科医の暴力によって妊娠、未婚の母となった。母子で生きていくため、稲は長崎に帰り母に娘をあずけて、開業医のもとで外科を学びながら産婆の仕事を始めた。ある日、敬作が開明派の大名・宇和島の准藩医で天才的な頭脳の持主・大村益次郎を稲に引きあわせた。

 大村の論理的な話し方や知性に魅了された稲と大村の関係が始まった。西洋の兵学に明るい大村は江戸にでて、自分が開いた洋学塾で稲と同居。やがて幕府の講武所の助教授になった。

 稲の愛した人との別れ:母の死とひきかえに稲は日本初の女医を決意。履歴書には明治三年に東京で産科医開業とある。母の死からわずか四カ月後に大村が京都で暗殺者に襲われた。大阪府医学校病院の院長・緒方とオランダ人外科医・ボールドウィンが治療に当たった。稲と娘の高子の看護も空しく、大村は亡くなった。母と愛する大村を同時に失った稲は東京で産科医とした活躍、宮内庁の御用掛として名声を得た。

 

息子・ハインリッヒとハナの物語

 日本を去った父シーボルトは、帰国してヘレーネと結婚し三男二女に恵まれる。時代を下って、シーボルトの息子ハインリッヒが日本にやってきた。日本文化に強い関心をもつハインリッヒは歌舞伎に魅せられ、踊りや三味線が上手だったハナと結婚。ハナの父は、日本橋の商人で外国の商人と取引をしていた。

 考古学の先駆者として:インリッヒは結婚して間もなくウィーンへ。二人のカタカナ日本語による文通が始まった。ハナは妊娠していた。ハナと同居して出産を助けたのは稲だった。この男の子は4カ月で亡くなるが、ハインリッヒが日本に帰国し二児が生まれる。日本考古学の先覚者となったハインリッヒは、学問を愛し息子と発掘調査も行った。

 シーボルト父子の遺産:しかし健康を害したハインリッヒは44歳で日本を去る。子どもと日本に残ったハナは、踊りの師匠になり、シーボルト夫人として政府高官から大事にされる。後に学習院の寮母として、華族の子弟たちに慕われたという。[KK.HISAMA. 2018.7]

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