消えゆくことば:昔は東北弁・今日本語

消えゆくことば:昔は東北弁・今日本語

はしがき

 海外の生活経験から、「日本人には日本語を話す」という掟に気づいた。私は長年アメリカで日本語を話さなかったが、日本語を話すことも書くこともできる。残念ながら美しい日本語からはほど遠く、帰国してからは日本語を磨く努力をしている。

 

年の瀬の上野駅周辺で

 気がつくと、日本人と変わらない容貌のアジア人が日本中で、何語かを話している。暮れに上野駅周辺の商店街で日本人と思って話しかけてみると、ほとんどの人が日本語を話さない。一人だけ年配の女性が話す美しい日本語を聞いて大変うれしかった。

「ふるさとの 訛(なまり)なつかし停車場の ひとごみの中にそを聴きにゆく」
昔、啄木が故郷をなつかしんで作った短歌を思いだした。

 美しい日本語も昔の東北弁のように、稀に聴くことばになるのだろうか。日本語を話さない外国人は旅行者かもしれない。しかし、政府が力を入れる英語助手は、旧植民地のアジア人など、アメリカからUターンする中国・韓国人が増加している。

 

日本語を粗末にしてきた日本人

 「日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で」の著者・水村美苗は家族と12歳のとき渡米した小説家。水村によると、日本人は日本語を水と同じく当たり前と考えている。その奥深い理由は「日本語に自信がない」からという。漢文崇拝から西洋語崇拝の歴史がある。敗戦後、文部省は漢字の排除やローマ字使用を推進したのは、日本語への暴力であるという。今は小学生まで拡大する英語の必須化が進んでいる。

 

国民がまもる「ことばと文化」

 ことばは文化そのもの。水村は表意文字である漢字と表音文字のかなによって、日本語は世界で稀なすばらしい書きことばであるという。海に囲まれた日本の地理的条件が、日本語を護ってくれた。ところがインターネットの普及による英語の世紀は、日本語を直撃した。

 ヴァイキングやフランスの侵略によって英語は何回か絶滅の危機に瀕した。ヴァイキングから英語を救ったのは、「文字なくして文化はない」と考えた地方のアルフレッド王だった。昔は王、今は政府、民主国家で政府を正しい方向に導くのは国民である。[KK. HISAMA,2018.1]

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