第4回 宗教と女性の身体性 中編

第4回 宗教と女性の身体性 中編

182.html第4回 宗教と女性の身体性 中編

宗教における女性の穢れと差別

平安時代に始まる穢れの概念

 女性の月経と出産を「穢れ」としたのは、八世紀末から九世紀前半とされる。例えば、平安時代には、妊娠や月経中の女性が宮廷儀礼を穢すからとして一時的に退出する制度があった(「養老律令」の施行細則である『延喜式』、九二七年)。これは王権の権威を維持するためと見られる。近年には出産を穢れとする産穢について、明治五年(一八七二)の太政官布告が出された。これは「女性が政治・文化から多面的に撤退し、あるいは排除されていく」中で発生したと見られている(西山良平:王朝都市と<女性の穢れ>『日本女性生活史1』、東京大学出版会、一九九〇年)

宮廷祭祀のなかで「きよめ」を重要視して穢れを忌むことが強化されたことを女性排除と見るか、女性に配慮した休暇と見るかの違いがある。しかし、月経や出産によって女性を「劣位(れつい)」として、男性優位の家族制度や様々な領域への女性参入を禁じたことは深刻な問題であり、歴史的に言えば仏教や儒教の影響と思われる。なぜなら「穢れ」の概念が意識された平安初期は、高僧であった最澄(さいちょう)(比叡山の天台宗)と空海(くうかい)(高野山の真言宗)が、朝廷と結びついて仏教が強化されて行った時代であった。

 

仏教おける女性差別

 女人禁制とは、女性であるという理由で、ある領域に入ることが絶対に禁止されている儀式である。仏教における女性差別は、仏典にある「女人(おんなじん)五障(ごさわ)」にあり、五障の一つは仏になれないことである。女性は一度男性に転じて仏になる(変成男子)存在としている。女人禁制の場所として有名なのは、日本の二大仏教の聖地である比叡山と高野山であるが、他の山々もある。天台宗の慈円(じえん)1155-1225)は、わが山(比叡山)は天皇が住む都の平安のために存在する聖地であるとしている。王権の安泰を祈祷し、穢れを排除するので女性の入山は許可されなかったと述べている。高野山も同様に女人禁制であり、両山の開放は明治時代になってからである。

 現実的な理由として、女人禁制は出家者の性関係を禁じるためであったと考えられる。興味深いことは歴代の僧侶(源信、法然、道元など)が女人禁制を批判したことである。源信(942-1027)は『往生要集』の中で、「外に好き顔色を視て、内の不浄を観ず」としている。修行者の内なる不浄は近世になって、女人禁制の寺院や修険道の外郭地帯に設けられた遊郭に反映されている。そこでは「精進を落とし」、すなわち下界に戻る通過儀礼があり、山上で経験した死と再生によって一人前の男になったことを証明する場所であった。近年、出家した僧侶やカトリックの神父による性行為が明るみに出ている。これらの事情は、宗教において人間の身体性を自覚することが重要なことを示唆している。

 

儒教における女性差別

 儒教の女性差別を具体的に示す『女大学』は、江戸時代の嫁の心得書として『養生訓』の儒学者・貝原益軒が書いたとされるが、実際はヒントを得た他者が書いたらしい。嫁入り前の必読書であった。『女大学』の中には、「七去」という言葉があり、女の道にそむく七つの条件が書いてある。「慎みのないおしゃべり」や「盗む」は戒めたいが、ねたみ、病気、不妊、など人間にありがちなことまで、すべてが離婚の条件とされる。舅・姑に従い自分の意見が言えない、男女同席しない等々、今でも家族や社会習慣として残っている。フェミニストは女性の人権を否定する儒教思想こそ、女性差別の元凶であるとする。

文化は相対的なものであり、閉鎖された場所で慣れてしまうと差別を意識しなくなる。鎖国という閉鎖社会では、既婚女性のお歯黒と眉剃りは当たり前で、明治の初期までは皇后陛下も行っていた。開国に当り日本にやってきた欧米人は、お歯黒を世界で比類のない人工的な醜さであり、墓穴のような口を気味が悪いと記録している。若い娘が美しい一方で、結婚すると貞節を守るために世界で最も醜い女性になると指摘している。当時、日本を旅行した欧米の女性は、お歯黒をしていないので男性と間違えられたという記録もある。

戦後の民主主義思想の教育を受けた女性たちは、性差別を意識するようになった。男性は少子社会や熟年離婚の根底にある儒教思想の意識改革を求められている。一方、女性は西洋の個人主義を意識しながらも、日本女性の美徳をもう一度見直してほしい。男女の歩み寄りがないならば、家族と社会のつながりが破壊され、医療問題も含め様々な形で社会システムの崩壊が現実のものとなるであろう。[2011.1.25]

©2015 athena international research institute.