序章:歯科医療に求められる生活者の視点

序章:歯科医療に求められる生活者の視点

本セミナーを企画した動機は、13年前に帰国して以来私の頭を離れない日本の歯科医療問題である。歯の問題は蔓延する歯周病の臭いと、その要因である前時代的な虫歯の治療を示す口内の金属に垣間見ることができる。歯科医療問題は、画期的改革と言われる2007年度の医療改革においても改善のきざしは見られない。歯科医療については第3回のセミナーでくわしく述べる。序章では、今回の改革において、「医療を受ける者」の利益・安全を謳いながら、消費者のための医療の本質を本当に理解していない人々に、歯科医療を例にとって医療問題のポイント述べたい。

医療消費者の国際経験から

心身の病気は、毎日の生活において起こりやすい病気を予防することである。日常の風邪や女性に多い尿道炎などは、初期にすばやく前兆を感知し対応すると病気にはならないで済む。誰もが経験する普通の病気は、昔の人が立派にできたように、予防接種以外は自分で出来るので医者の必要はほとんどない。歯の場合も同じく予防が大切であるが、これだけは自分だけではできない。まずはこのことを銘記してほしい。虫歯と歯周病の予防は、毎日の歯磨きだけではだめで、検診も含むが歯科衛生士による年に2回(1回でも可能)クリーニングが不可欠である。問題があれば医師の診断と速やかな治療によって歯を失うことはないはずである。これはセルフケアを基本とするアメリカで、30年間、家族4人の健康を守った私の経験から言えることである。

帰国してから大学教員として赴任した関係で、私は大阪で6年、長崎で6年過ごしてから昨年3月に退職して夫の故郷である佐賀に移住した。私は生後間もなく肺炎で瀕死の経験があったので、乳幼児期から小学生初期までは風邪でしばしば休学したが、成長してからは風邪で寝込むことさえない。私にとって、長い人生を通して一番大切な医療は歯科医療である。幸い結婚して間もなく渡米、アメリカのすぐれた歯科医療によってほとんどの自然歯を保存できた。

しかしながら、帰国してみるとアメリカのような歯科医療を受けることは至難の業であることがわかった。それで帰国後数年間は、渡米したときに歯科医療を受けた。その後、大都市に近い大学の環境に住んだこともあり、知人を通してアメリカで訓練されたか、その哲学による日本の歯科医を紹介してもらった。佐賀市に引越ししてからもう10ヶ月にもなるが、私が望む歯科医療ができる人がみつかっていない。日本の歯科医療のどこが私を苦しめているのか。

私より6ヶ月先に佐賀へ引っ越した夫は、市内ですでに3箇所の歯科医院を回ったが、どこでも歯科衛生士が10分ほど、ごく部分的な「クリーニング」をして再度受診するようにと言われた。アメリカ式のクリーニングとは全く違うという。そんな「クリーニング」が許されるのだろうか。半信半疑の私は、ネットで九州一の大都市、福岡市内の歯科医のホームページを調べてみた。まずは専門の衛生士がいることを確認してからアポをとって受診した。

1回目:
歯のレントゲン写真13枚、歯科医の説明で特に異常なし
2回目:
歯科衛生士による赤いタブレットによるプラークのチェックと説明(15分)
下歯のみ、水圧による洗浄で表面のプラークのみ除去(洗浄時間5分)
3回目:
上歯のみ、2回目と同様(洗浄時間5分)

これに要した投資(時間とお金)は、11月から12月にかけて3回、一回3時間で合計9時間の交通時間プラス待ち時間と診療時間で12時間、交通費7500円、受診料総額は保険で約20,000円。実質的な成果は歯の洗浄による表面プラークの除去のみ。歯の内部のプラークを除去するためには週1回の訪問を6週間毎週受診する必要あり。その後は有料のメンテナンス治療があるとか。

アメリカで30年、私は年に1回(理想は2回)アポをとって歯科医を訪問し、衛生士が1時間かけてすべてのプラークを除去してくれた。おかげで、渡米前に日本で虫歯治療を受けた数本をのぞいては全ての自然歯を保存できた。すなわち、アメリカでは日本で衛生士が8回に分けて行うプラーク除去を1回1時間で完了。予防なので保険によっては全額カバーする場合もあるが、通常は有料で帰国当時は一回の費用が35−50ドルくらいだった。

福岡の歯科医院で私は医療側の言いなりになったのではなく、私の立場を説明してアメリカ式のクリーニングをお願いした。また、不要なレントゲン写真も撮らないように懇願した。患者中心の思想が普及したようで、医師も衛生士も忍耐強く私の話に耳を傾けてくれた。中でも医師が嫌な顔もしないで時間をかけて聞いてくれたのは大きな驚きであった。しかし、私の言い分は一切通らなかった。医師は言った。

「保険診療ではできないのですよ、この前も役人に呼ばれて注意されましたから」

なぜ、大阪と長崎で受けたような歯科医療ができないのだろうか。私の場合、年間の国保の保険料はおよそ54万とまで言われた。私が受ける診療は年2回の歯科医療くらいである。私の不満は募るばかりであった。私は必死で福岡駅の周辺の歯科医院をいくつか訪問したが、みな同じ答えであった。3回目の診療を終えた直後に東京の学会に出席した。学会が終わった夜、都内にでたら老舗の百貨店では豪華な年末セールで賑わっていた。帰途についた時、真向かいの小さなビルの2階にA歯科医院の広告が見えた。

 一生自分ので食べよう」

これこそ、私がアメリカで学んだ歯科医療の格言だ。ここならよい医療が受けられるかもしれない」と考えた。「でも、保険だけで『歯は命』という言葉に象徴される診療が可能であろうか」

医療の元凶はなにか

心身の重大な病気や大怪我をした時はいやでも医師による医療が必要である。一方、歯科医療は健康な人でも常に必要とする医療である。国民のために良質で安全な医療に関する法律は医療法である。医療法は医療を提供する体制を確保し、それによって国民の健康保持に寄与することを目的とする法律の一つ。あくまで医療機関(病院・診療所・助産所)の開設・管理・整備などに限定される。例外的にインフィームド・コンセントの規定が記されている。医療法は医療の憲法ともされ、医師法などの周辺法規に影響する。心身の医療とて様々な問題があるが、歯科医療のように結果がみえにくいだけである。だから国民が物言わないかぎり隠すことができるので、歯科医療問題は日本の医療問題全体の氷山の一角にすぎない。

つい最近も医療によって薬害肝炎になった裁判で、犠牲となった方々が国を訴え、長い年月を経て解決に至った。元凶は医療法だろうが、何よりも医療を担う人々の倫理感の低さが根底にあると思う。明治維新において漢方医を排除し侵襲的で危険な西洋医療を日本の正式な医療としながら、政府も国民も医療制度や医学教育において、あたりさわりのないそれまでの漢方の感覚でしか考えなかったことが根源にあると思う。人々の体と精神に深くかかわる医師と聖職者に対して西洋の思想は厳しい。

裁判官や医師はどんな場合にも、自分の予測しえない過誤で人を傷つける可能性に対して<人間としての苦しみ>から救われてはならないということである。人間としての裁判官や医師が苦しみつづけることの中に、国民は裁判官や医師の職業上の無過失に対する保証を求めるのである。それであるからこそ、国民は裁判官や医者に職業上の特権を認めて、その良心への信頼を示しているのである。(カール・バルト:ロマ書)

医療法や医師法による独占的な医療を行いながら、西洋の思想である「罪と罰」を意識しないことの危険は計り知れない。医療過誤につながる専門性が少ない医療が慢性的になったのは、西洋医療に不可欠な医師の倫理を頭で理解しても実践できないからであろう。

私は、真冬の長い船旅と大陸を横断する航空機でクリーブランドに到着した直後から肌で感じたことがある。それは、貧しい留学生一家が真冬でも夏のように暖かい全館暖房の我が家に住めるという物質的な豊かさや公共施設であったかもしれない。それ以上に大切だったのは、女性として人間として自分の価値がにわかに高まったという実感であった。それから30年、日本の大学で教授に招待された夫と帰国して日本の経済的な豊かさに目を見張った。そして渡米前には聞いたこともない人権や命の重みを語る人々の声を聞く。そうした変化の中で医療法が改正された。国民中心の画期的な改革と言われながら、実際の運営は資本主義に偏るアメリカ医療の市場原理の危険をはらんでいる(*1)。それは、日本人の民族性や医療の歴史における大きな誤りを分析した改革ではない。本セミナーではこうした問題点の改善について具体的に述べていく。

(*1)参考文献:1.武藤正樹:医療制度改革で仕事はこう変わる、ぱる出版、2007.11

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